『杉本博司 絶滅写真』

先日
合間をぬって行ってきました
東京国立近代美術館にて開催中の
『杉本博司 絶滅写真』
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公式サイトは→こちら
写真家であり
現代美術作家の
杉本博司(1948-)
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以下、サイトより案内文を転載
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[展覧会概要]
様々な領域で活動する現代美術作家、杉本博司(1948-)。
小田原文化財団 江之浦測候所をはじめ建築分野でも活躍し、日本の古典芸能など舞台芸術の演出では国内のみならずヨーロッパ数都市やニューヨークにも進出。
その活動分野は書、陶芸、和歌、料理と多岐にわたっています。
そんな多才な杉本の芸術の原点は銀塩写真にあります。
確たるコンセプトに基づく、独自の表現による作品はまた、銀塩写真の技術としても頂点を極めるものであり、写真がデジタルに置き換わった今、その技法は今やまさに「絶滅が危惧される」ものと言えます。
本展では杉本の初期(1970 年代後半)から現在に至る銀塩写真約60点を展観します。
写真作品で構成する美術館での個展は、国内では2005年の森美術館以来の開催となります。
さらに、所蔵品ギャラリー3階にて当館所蔵杉本作品全点、また制作の秘密を明かす未公開資料「スギモトノート」をサテライト展示します。
[展覧会構成と見どころ]
ー初期から近作まで全13 のシリーズを3章構成で展示
本展は、3つの章、全13 シリーズにより、ゆるやかに時系列に沿いつつ杉本博司の作品世界の展開をたどります。
1章「時間・光・記憶」では、1970年代から80年代に着手され、杉本の評価を確立することになった〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉の3つのシリーズなどにより、作品世界の始まりを紹介します。
2 章「観念の形」では、人間の知性や想像力がつくりだしたさまざまな「かたち」を主題とした〈観念の形〉〈スタイアライズド・スカルプチャー〉など90年代末から展開されたシリーズにより、作品世界が拡張・深化していくプロセスを紹介します。
3章「絶滅写真」では、終焉を迎えつつある銀塩写真というメディアの始原にさかのぼる〈前写真、時間記録装置〉〈フォトジェニック・ドローイング〉から、近作〈Opticks〉まで、6つのシリーズにより、杉本が予見する“絶滅”をめぐるヴィジョンの行方を探ります。
ー初公開の新作
本展では初期代表作として知られる〈ジオラマ〉〈海景〉のシリーズ、そして〈スタイアライズド・スカルプチャー〉において、初公開となる新作の展示を予定しています。
とくに杉本のデビュー作として知られる〈ジオラマ〉では、《ポコット族》などいくつかの新作を加えた構成により、1975 年、シリーズの始まりからひそかに構想され、半世紀を超えてついに実現に至った、人類史をめぐる深淵なストーリーが初めて提示されます。
ー“絶滅”をめぐって
本展のタイトルでもある「絶滅写真」とは、銀塩写真というメディアの終焉と自らの作家活動の終幕を見すえて浮上した主題です。
しかし本展で示される“絶滅”をめぐるヴィジョンとは、それにとどまるものではありません。
それではいったい何が“絶滅”しようとしているのか?
半世紀にわたって写真というメディアによる表現の可能性を拡張・深化させてきた杉本の作品世界の全体像を見わたす本展において、通奏低音として示される“絶滅”という主題にご注目ください。
…となっています
いやあ
とにかくまあ
百聞は一見にしかずです
デジタルに置き換わり
日々失われつつある
この銀塩写真によって生み出された
奇跡の写真群
驚異の異世界を
是非ともご堪能あれ〜
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(館内は写真OK)
ということで
以下、ザザッとご紹介
写真とともに掲示される
杉本の言葉や説明書きが的確なので
一部転載します
1章「時間・光・記憶」
現代美術作家、杉本博司のデビュー作となった
人類の歴史をめぐる作品群。
1970年代から80年代に着手され、杉本の評価を確立することになります。
〈ジオラマ〉
1975年に始まったこのシリーズは、ニューヨークのアメリカ自然史博物館に設置された動物や人類のジオラマを大判カメラで精緻に撮影。
巧妙につくり込まれた展示空間を撮影することで、剥製や模型であるはずの対象が、まるで生きているかのようなリアリティを獲得している。
杉本いわく
「どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ」
って
本物の姿を
撮ったようにしか見えない不思議…
◎《アビシニアコロブス》 1980
ゼラチン・シルバー・プリント
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◎《類人》 1994
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×149.2cm
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◎《クロマニヨン》1994
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×185.4cm
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杉本の言葉が綴られます
「およそ1万5000年前、現代の我々現生人類の直接の祖先が暮らしたウクライナの遺跡を再現したもの。
毛皮を着こなし、17トンものマンモスの骨で建築を造っている。
この遺跡からは骨を削って作った糸を通す穴の開いた針も発掘されている。
この頃までに人の脳内には意識が現れ、言語能力を獲得し、さらに虚構の概念を共有することで大規賞に共同できる文明へと発展していく。
虚構は神話や国家、貨幣などだ。
人は動物界の頂点に立ち、6000年ほど前に文明化を果たした。
17世紀になると人の心の中に科学的知見が認知されるようになり、神の影は薄くなり、貨幣が貨幣を増やし続ける資本主義が台頭する。
18世紀の産業革命は人の個体数を劇的に増やし、世界人口は7億人に達した。
その後19世紀には10億、20世紀半ばには25億と増え続け、21世紀の今日、人口は80億人に達した。
この数字は地球環境の平衡を壊しつつあり、人類は今、絶滅危惧種となった。
宇宙船地球号は満杯や
これ以上乗ったら船は沈没や」
◎《ポコット族》 2025
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×185.4cm
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〈劇場〉
「映画一本を写真で撮ったとせよ」
一本の映画を始まりから終わりまで長時間露光で撮影することで映画の物語は真っ白に輝く四角い光へと還元される。
スクリーンの光に照らされて、かつての繫栄を伝える劇場内の豪華な装飾が浮かびあがる。
しかし杉本が〈劇場〉に着手した頃、すでに往年の映画館は斜陽の時代を迎えていた。
“絶滅”へのまなざしは、すでにこの連作にも現れていた。
◎《U.A. プレイハウス、ニューヨーク》 1978
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×149.2cm
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◎《シネラマ・ドーム、ハリウッド》1993
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×149.2cm
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〈海景〉
水平線をはさんで、下半分は海面、上半分は空、それ以外の要素は画面から一切排除されている。
この眺めは、数十億年前、地球上に水と大気が発生して以来、変わらずあり続けている。
「原始人の見ていた風景を、現代人も同じように見ることは可能か」、自ら立てた問いへの回答として着想した〈海景〉で、杉本は太古の昔へと時間をさかのぼる装置として写真を用いてみせた。
1980年の第1作《カリブ海、ジャマイカ》以降、今日に至るまで、杉本は世界各地の海で、完全に同じ構図で水平線を撮影し続けてきた。
◎《カリブ海、ジャマイカ》 1980
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×149.2cm
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◎《リグリア海、サビオレ》1993
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×149.2cm
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静かに融解していく
空と海
◎《相模湾、江之浦》 2025
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×149.2cm
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なんて美しいのでしょうか
2章「観念の形」
人間の知性や想像力がつくりだしたさまざまな「かたち」を主題とした〈建築〉〈観念の形〉〈スタイアライズド・スカルプチャー〉の90年代末から展開されたシリーズにより、作品世界が拡張・深化していくプロセスを紹介。
〈建築〉
「私は大型カメラを使い、焦点をボカすことによって、建築が建つ前の、建築家の脳内ビジョンが再現できるのではと考えた」。
杉本は20世紀のモダニズム建築をめぐるこのシリーズの撮影において、カメラの焦点距離を「無限の倍」に設定するという方法を採用した。
装飾をそぎ落とし、機能や造形的な原理を追究したモダニズム建築は、建築家の想像力が生み出したものであり、資本主義とテクノロジーの発展に支えられた新時代の精神の産物でもある。
焦点をボカすことで、そうしたものが形となって出現する様相が浮かび上がる。
◎《サヴォア邸》 1998
ゼラチン・シルバー・プリント119.4×149.2cm
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◎《ワールド・トレード・センター》1997
ゼラチン・シルバー・プリント149.2×119.4cm
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〈スタイアライズド・スカルプチャー〉
「人類の衣服の歴史は人類の歴史そのものと同じほど古い」。
身体を保護するためにまとった動物の毛皮に始まる人類の衣服の歴史は、素材やかたちを多様化させ、やがて「装う」こと自体を目的として、その意味や機能を変貌させてきた。
ファッションを「人体とそれを包む人工皮膚を近代彫刻としてみる」という視点からとらえたこのシリーズは、身体というもっとも身近な自然と、頭の中から創り出された衣服という人工物が一体化した、ハイブリッドな存在としての人間像を写し出す。
◎《スタイアライズド・スカルプチャー 120[クリスチャン・ディオール、Bar、1947]》 2025
ゼラチン・シルバー・プリント149.2×119.4cm
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3章「絶滅写真」
終焉を迎えつつある銀塩写真というメディアの始原にさかのぼる〈前写真、時間記録装置〉〈フォトジェニック・ドローイング〉から〈肖像〉、近作〈Opticks〉まで、6つのシリーズにより、杉本が予見する“絶滅”をめぐるヴィジョンの行方を探る。
〈フォトジェニック・ドローイング〉
初の実用的な写真術ダゲレオタイプの技術が1839年に公表されるよりも早く、イギリスの学者タルボットはイメージの定着に成功していた。
ただしフォトジェニック・ドローイングと名付けられたその原初の写真はネガ像=陰画だった。陰画を再び反転させ明暗の正しい陽画を得るネガ・ポジ法の写真術の完成は1841年。
杉本は写真術の黎明に生まれた陰画から、タルボット自身も目にしなかった陽画をつくることを試みた。
「銀塩写真の終焉そのものを看取るべく、自ら買って出た葬儀委員長として、写真術の始祖タルボットの陰画を焼くべく、焼き場(暗室)で薬物の匂いを香の薫りと思いなして作業に励んでいる」。
◎《フォトジェニック・ドローイング017 屋根の輪郭線 レイコック・アビー 1835–1839年頃》 2008
ゼラチン・シルバー・プリント、調色93.7×74.9cm
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これが写真とは
驚きです…
〈肖像〉
「剥製の白熊が生きているように撮れるのなら、蝋人形も生きているように撮れるだろう」。
ロンドンのマダム・タッソー蝋人形館などで撮影された〈肖像〉は、〈ジオラマ〉の系譜に連なる作品だ。
そして同時に、写真の始原へとさかのぼる作品でもある。
写真がレンズの前にその時存在するものから、そのイメージを写しとるのと同様、蝋人形もまた生身の人間から、その時の容貌を石膏型としてうつしとる技法であるからだ。
蝋人形館の設立は1835年、写真術の黎明期に重なる。
蝋人形の肖像との対面は、写真の始原にあった、時を止めることへの欲望との対面でもある。
◎《ダイアナ、プリンセス・オブ・ウェールズ》 1999
ゼラチン・シルバー・プリント149.2×119.4cm
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◎《放電場163》2009
ゼラチン・シルバー・プリント149.2×119.4cm
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◎《放電場227》2009
ゼラチン・シルバー・プリント149.2×119.4cm
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放電場の驚くべき形態(!)
〈Opticks〉
17世紀にニュートンが試みたプリズムによる分光実験を再現し、光の色彩を観測した〈Opticks〉は、撮影にポラロイドフィルムを用い、デジタルプロセスを介して画面のノイズを除去したうえで大判のカラー印画紙にプリントするという、杉本作品のなかでは異例の手法による作品だ。
冬の朝、東京の自宅の窓から差しこむ陽光をプリズムで分光し、白い漆喰の壁に浮かび上がる色の海に対峙することから生まれたこのシリーズについて、杉本は「光を絵の具として使った新しい絵(ペインティング)を描くことができたように思える」と記している。
◎《Opticks 027》 2018
発色現像方式印画119.4×119.4cm
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◎《Opticks 066》 2018
発色現像方式印画119.4×119.4cm
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◎《Opticks 075》 2018
発色現像方式印画119.4×119.4cm
の青と併せて
色そのものを写し出す試み
コンセプチュアルアートの極地ですね
とにかくまあ壮観で
観ていて
ついどこまでも引き込まれてしまいます
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◎《Opticks 087》 2025
発色現像方式印画119.4×119.4cm
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圧巻の質感
およそこの世のものと思えない
色の神秘
◎《陰翳礼讃 98.0001》 1998
発色現像方式印画149.2×119.4cm
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つい
いつまでも
ボーッと眺め続けてしまいます
というわけで
ふぅ
なんてすごい世界でしょうか
まさに失われつつある銀塩写真の
神髄を堪能できる本展
これは必見です
と
最後に杉本博司氏の文章を転載
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「杉本博司 絶滅写真」に寄せて
今、写真から何が絶滅したのか。それは写真の証拠能力に他ならない。
写真は21世紀に入り急速にデジタル化した。
デジタル画像は如何様にも変換可能である。
西部開拓時代、アメリカ先住民は思った。
「白人嘘つく、インディアン嘘つかない」*2.
今、私は同じ様に思う。
「デジタル嘘つく、写真嘘つかない」。
そもそも幕末に写真が紹介された時、「PHOTOGRAPHY」の訳語を「写真」としたのはかなり異訳だったと思う。
むしろ「光子画」の方が馴染むのだが、やはり写真の持つ迫真性に人々は度肝を抜かれたのだろう。
私なら「抜霊画」と訳していただろう。
天皇の肖像画は古来より「御真影」とされてきた。
写真は「御真影」を撮る装置として感得されただろう。
しかも高貴な人々だけでなく、庶民の真の姿をも映す。
私は銀塩写真全盛の頃に生を受け、その終焉の頃に人生の幕を下ろそうとしている。
思い返せば若年の頃、ニューヨークに渡り、芸術界の二流市民として扱われていた写真を、その名誉を回復し、一流市民にまで格上げさせてみたいという野心を持ったことから、私の写真家人生は始まった。
私は写真の持つ信憑性について考えた。
写真に写されたものは存在した、それは証明写真とも言われる様に、真実の存在証明だった。
犯人は警察で証拠写真を突きつけられ、観念し自白した。
私はその特性を逆手に取って、写真には写らないものもある、ということを写真に撮って証明してみようと考えたのだ。
白熊の写真に人々は命を見た、しかしそこには命はなかったのだ。
映画館の白いスクリーン。あなたの見たと思えた映画は、全て白光に還元してしまうのだ。
私は現代美術という世界に、メディアとしての写真をプロモートできたのではないかと自負している。
あれから苦節35年、芸術界の一流市民になれた証として、私は2009年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞した。
しかし皮肉なことに私の受賞したのは絵画部門だった。
芸術界の老舗、絵画と同じレベルの芸術として私の写真は認定されたのだ。
私は嬉しくも悲しかった。
絵は絵空事を描くメディアだ。
写真は真実を描くメディアなのだ。
見損なってもらっては困る、と言いたかったのだ。
今、写真は絵の代替えメディアに堕してしまったようだ。
私は今、倉庫の奥に眠っていた10年落ちの印画紙を引っ張り出してきて、暗室作業に勤しんでいる。
黄ばんで極端に感度の落ちた印画紙もなかなか味があるのだ。
私は銀塩写真の寿命と私の寿命とが響き合っていることに幸せを感じている。
杉本博司
*2.今日では民族をステレオタイプ化する表現という見方もあるが、アメリカ先住民が受けてきた迫害の歴史を記憶する側面を重んじ、伝統的な表現のまま掲載した
(本展プレスリリースより)
おまけ
コロナ禍のときに
杉本氏の寄稿文他について
以前書いた記事です→こちら










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