誰かに呼ばれる
社内のメーリングリストから回ってきた
ちょっといい話を
そのまま転送します
あの哀川翔アニキの話です
メール「人の心に灯をともす」
より以下、転載
↓↓↓
『誰かに呼ばれる』
役者ってのは基本的に1回1回のリストラ制だよ。
それが俺の場合は“Vシネマの帝王”なんて言われて一番多いとき、2002年は年間14作品も主演をやってきた。
なんでそんなにやり続けられるかって、俺は「俺を呼んだアンタこそエライ」って思ってきたから。
どんな映画でも、Vシネでも、もしくはバラエティでもそう。
俺は基本的に元気だし、呼ばれたからには、死にものぐるいでやってやろうと思ってるもん。
ちょっとでも興行成績伸ばしたいし、出た番組の視聴率を少しでも上げたいと思ってる。
呼んだ人が
「まぁ哀川翔だからこのくらいの成績は出るだろう」
と思ってるその成績の、さらに上を行くように頑張るんだよ。
そりゃあ必死こいて。
想定される成果にプラスアルファがあってはじめて俺を呼んでくれた人の功績になるでしょ。
そしたらまた、仕事が来るんだ。
必死こいてひとつのものを作るその道中、楽には進まないいろんなことがある。
「いろいろあったけど、頑張って良かったね」
って、みんなが思える作品にすること。
そういう結果を出すこと。
仕事ってそういうもんだと思うよ。
そこに携わった人たちに喜びがないと次もないんだ。
あとは
「こいつがここにいると助かる」
って存在になること。
そうすれば、間違いなく需要が高い人間になれると俺は思う。
「あ~、やっぱり君がいてくれて助かったよ」
って。
だってキャンプやるときも
いると助かるだろうなって人間しか呼ばないもの。
お荷物になるやつ呼びたくないよ。
それと同じで、少々芝居が下手でも、ものすごくみんなのフォローが上手いやつだったら
「あいついると楽だから呼んどこうか」
ってなる。
絶対。
俺はそう思う。
『使われる極意 すべては、呼ばれるために』東邦出版
↓↓↓
う~ん
いい話ですね
明快ですね
さすがアニキ
この男前ぶり
是非とも見習いたいですね~
↓↓↓
この記事へのコメントはありません。