映画『ノスタルジア』
深い靄(もや)が立ち込める森の風景
なだらかな丘を降りていく婦人たちや子供たち、そして犬
そこにかぶるロシア民謡の素朴な唄声が
やがてヴェルディの「レクイエム」の荘重な調べへと移り変わる
引きの長回しによる幻想的なタイトルバック
う〜ん
緑がかった映像の
この絵画と見紛う美しさに
ただただ目を奪われるばかりです
映画評
1983年製作
ソ連、イタリア合作の
『ノスタルジア』
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監督はご存じ
ロシアが生んだ映像詩人
アンドレイ・タルコフスキー(1932-1986)
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長編監督作はわずか7本と寡作ながら
水、火、霧、光などを
縦横無尽に駆使した詩情あふれる作風で
世界を魅了し続けた巨匠です
本作『ノスタルジア』は長編第6作目にあたり
彼が初めてソ連国外で製作した作品ですが
本作の完成後に彼はイタリアへと亡命
結局そのままソ連の地を踏むことなく
1986年に54歳で肺がんによりパリで客死します
それはソ連を亡命してからわずか2年ちょっとのことでした…
ということで本作は
タルコフスキーの母国、故郷に対する郷愁の念や
その一方で
常に新たな表現を試みようと模索する芸術家としての野心
何より自身に内在する“人類の救済”というテーマの探求など
当時の錯綜する様々な想いが
一篇の抒情詩として結実した傑作です
…
モスクワの詩人アンドレイ・ゴルチャコフは通訳と共に
18世紀ロシアの音楽家サスノフスキーの足跡を辿って
イタリアのトスカーナに来ていた
このロシアの音楽家は
イタリアを放浪するも
故国への郷愁に駆られ、帰国し
後に自殺したという
その心情をはかろうとするアンドレイは
しかし自身
心臓病に侵され余命が長くない
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と
村には世界の終末を憂い
狂人扱いされているドメニコがいた
ある日、彼はアンドレイに
「ロウソクの火を消さずに広場を渡りきることができたら、世界は救済される」と言う…
…
まあストーリーは大まかそんなところですが
それより何よりも
自然を巧みに取り入れた抒情詩の極致ともいうべき
圧倒的な映像美にこれ尽きますね
タルコフスキーの映画に特有の廃墟なども随所に…
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おそらくはタルコフスキー自身であろう
主人公アンドレイの
苦悩の足取りと歩を合わせるように
ゆっくりと進行する時間の流れに、観る者も終始身を委ねながら
アンドレイの心の内をリアルに共有します
いや
というより
ほぼ同期に近い感覚でしょうか
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タルコフスキーの映画は往々にして
テンポが恐ろしくスローで
おまけに長回し
ゆえに否が応にも
カメラを通して
主人公と同じ時間を共に過ごすことになり
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それによっていつしか
彼の心のひだすらも垣間見れ
同時に観ているこっちも
自身の去来する想いにとらわれたりして
様々なイメージを喚起させられます
ふと
主人公アンドレイが時折見る故郷の夢
霧に包まれる一帯の森と小さな家
戯れる少女や犬、白い馬
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曖昧模糊とした記憶の淵
霧の中からほのかに浮かび上がる
母なる大地への思慕の念
これはセンチで青臭い郷愁などでは決してない
もっともフェリーニくらい
普遍的な世界観に至るまでセンチメンタルを極めれば
それはそれですごいことですが…
タルコフスキーのそれは
もっと根源的な
潜在意識の底で静かに眠っている
漠然とした
しかし
明らかな
心の拠り所
…のごとき神聖さ
つまりは
慎ましやかなまでの宗教性を湛えているのです
と
そして物語の終盤
ベートーベンの第九に合わせて
焼身自殺を遂げるドメニコの言葉を受け
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自身の死期が近いと悟ったアンドレイは
ロウソクの炎を消さないで広場を渡りきろうとします
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スリリングな長回しのシーン
映し出されるフィルムと同じ時間を過ごすことで生まれる真実味
ほぼドキュメンタリーですね
3回目の挑戦でようやく歩ききるも
その直後に倒れこむアンドレイ
おぼろげな意識の中で
しかし彼はまた故郷の夢を見ていた
ラスト
故郷ロシアの家の前で犬と共に座り込む自身の姿から
カメラが徐々に引いていき
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イタリア、トスカーナの
サン・ガルガーノ修道院跡の大聖堂と一体化
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やがて懐かしい故郷と神聖なる大聖堂を包み込むように
雪がはらはらと舞い降り画面を遮る…
タルコフスキーが辿り着いた
“ノスタルジア”の壮大なるイメージが
静かな時を刻み
観る者の奥底にゆっくりと沈殿する…
というわけで
つくづく
なんとまあ美しい映画でしょうか
あらためて映画表現の地平を切り開いた
映像詩人タルコフスキーに感服です
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