正当化の内実

数日前に見た夕陽の光景です

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ダイナミックにうねる

不思議な色の空

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ふと

正当化か

認めたくない言葉だな

どこまでも

自分に都合のいい解釈に終始したスタンス

なんら建設的じゃなく

なんとも弁解がましく聞こえがちですね

あくまで

自分の中で

整合が取れている

折り合いがついている

だけの話

仮に正当化をしたとしても

それが

実際のところ

フラットな目で見て

果たしてどうなのか

ここが大事ですね

内心

自分をよく見せようと

画策しても何しても

自分の言動が

道理にかなっているのかどうかを決めるのは

自分ではなく

他人、周囲、世間一般であって

社会的に広く認められるのなら

それは正当化という枠を超えて

社会性を獲得した

ということにつながるのかな

って

いやいや

違うな

周りにどう思われようと

何と言われようと

自分がこうだと思ってやったことに

嘘偽りはなく

それが正当化だと言われようが

そんな外野の声など気にしなければいい

堂々と

ドシっと構え

自分を信じて

突き進めばいいのではないでしょうか

そう考えますと

やはりどこまでも

軸は

他人ではなく

自分自身にある

いうことを前提にした上で

最初に戻って

しかし正当化は

ともすれば

世間とのズレが生じやす

つまりは

社会性をないがしろにする

独りよがりさ

それは

頑なな信念

とも言い換えることができ

その内実は

ある種の危険性を

はらんでいるとも言えますね

そこらへんは

一方でやはり

常に自覚しておかなくてはならないなぁ

つくづく感じる今日この頃です

夕闇の中でひときわ目を引く

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一輪の薔薇

綺麗でしたね

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