人間は神ではない
つくづく
100%オール善
100%オール悪
そんな人
僕は世の中にはいないと思います
例えば
100%“誠実”の固まり
のような人がいたとしたら
僕はどこかうさん臭い目で
その人を見てしまいます
なぜなら誠実であればあるほど
その反動として
その対極にある不誠実な面も
同時に持ってしまうのが人間だからです
そうやって
バランスを保っているんだと思います
学校の先生やエリート検事なんかが
性犯罪などで捕まったりする報道を
よく耳にしますが
そういったお固い職業の人ほど
負の側面が大きかったりします
でもその至らなさが人間なのだと思います
そもそも
完璧な人間などこの世にいません
不完全だからこそ人間なのです
そういった意味で
人は愛すべき存在です
(もちろん性犯罪を肯定しているわけではありませんので…
念のため…)
そしてそうした
ダメな部分を併せ持った人間だからこそ
成長しようと努力するのです
より上を目指そう
よりよくなろうとがんばるのです
また反対の例として
仮に人を騙し続ける人がいたとします
果たしてその人は
精神のバランスを崩すことなく
ひたすら
不実を重ね続けることができるでしょうか⁈
僕はNOだと思います
いつかどこかで不安になり
いたたまれなくなるのが普通だと思います
それは人間には
良心や想像力があるからです
そうした人間に本来備わっている特性が
抑止力として働き
“負”に傾いた分だけ
“正”に戻っていくのです
勝手に自浄作用が働いて
真ん中に寄っていくのです
つまり
プラスマイナス=ゼロなのです
どんなに悪事を働いた人でも
最後はその分だけ
徳を積むことになるのです
どんな形かはわかりませんが…
結局何が言いたいのかというと
100%一つの側面に徹しきれるほど
人間は強くないということと
そしてあらゆる人が認める定義などはない
真理と呼ばれるものでさえ
少なくとも二面性を有していて
ましてや国や立場、状況によって
見方はコロコロ変わるものだということ
つまり人間の価値観はそれだけ
ある意味
いい加減だということです
でもそうしたいい加減さが
人間的なのだと思います
なので大切なのは
両方の側面を内包しながらも
その上で永遠に到達しないかもしれない
崇高な目的(=神の領域)を
あきらめずにコツコツと目指し続けること
そしてどこまでも
完璧(=神の領域)を目指しながらも
決して神になろうとしてはいけない
分をわきまえるという心がけが大事
人間は神ではないからこそ
神の領域に惹かれ
不可能な目的を目指すのだと思います
そのけなげさがまた人間らしい
永遠のチャレンジャーでいいのです
そして人間としての負の側面を
自分の中に認めた上で
ありのままを受け入れた上で
夢に向かってコツコツと徳を積み続ける
実はそうした過程のなかにこそ
真理というものがあるのかな、と
結果ではなく
プロセスの中に答えはあるのかなと思います
そんな姿勢が
自分だけでなく
まわりの人たちもよくなる
ひいては
みんなが幸せになる可能性を
秘めているような気がします
僕が考える
『共生』
の理念の一端です
話がすっかり
ややこしくなってしまった感がありますが
できればこれから
折に触れて語っていきたいと思っています
おまけ
神といえば
なんてったって
神龍(シェンロン)!
↓↓↓
(byドラゴンボール)
ハハハ
本文と何の関係もありませんね
深い~い、話ですね!
理念である「共生」への強い思いが伝わってきます。