逆ブレ

つくづく

一般的に言って

優しい人っていると思います

人に対して優しかったり

いつも笑顔だったり

物腰が柔らかかったり

でもそういう人って

実際のところ

ホントに優しいのでしょうか⁈

一体誰がそれを判定しているのでしょうか

まあ

大方の人による意見ということで

そういうのは

あながち間違ってはいないと思いますが

う~ん

それでもやはり

優しい人っていうのは

まず何より

表面的なイメージが

その評価の大半を

占めているように思います

見た目の優しさ

あるいは

優しいということを裏づける

何かしらのエピソードなんかも

事実の顕在化ということで

表面的なイメージの範疇で

捉えられると思います

それと

もう一つは

その人を評価する際の

優しいというイメージの占める割合

う~ん

どういうことかといいますと

単純に

優しいということを裏づけるエピソードが

一つだけでなく

いくつも挙げられたり

優しいという印象を与える

表情や振る舞い、言葉遣いが

常日頃から見られたりと

多くの人から

優しいということを根拠づけられると

もうその人は

優しい人

ということになるのではないでしょうか

しかし

ここでちょっと小難しい言い方をしますが

人間は神ではありません

人間の人間たるゆえん

それは

不完全であるということです

つまりは

一方の側面だけを100%保有できる

なんて人が

仮にいたとしたら

その人は

もはや人ではなく

いわば神なのです

あらためて

物事には常に二面、両面

多面性をはらんでいます

ここで述べている

優しさというのも

いわば一面の話

では二面とは

優しさの対極にあるもの

ここでは

そうですね

例えば

厳しい

なんて言葉が連想できるかと思いますが

ここであえて言いたいのですが

物事は常に両面

人が人である限りは

どこまでいっても

両面を等しく持つに至る

両面がバランスよく保たれるように

やがて収束していく

と僕は思っています

ということは

優しいと言われる人でも

その優しさと同等の

厳しさを持っていて

それが表面に出ていないだけの話

良し悪しは別にして

厳しさと優しさは等価

同等のエネルギー

人間はその両極の間を

絶えず行ったり来たりしているもの

決してどっちかに寄ったりはしないし

どっちかに寄った分だけ

反対の方に

振り子のように

逆ブレするのです

なので

優しければ優しいほど

その人には同じくらい

厳しさという側面があるのです

う~ん

自分のことを言うのもなんですが

僕なんかはよく人から

優しいねと言われます

まあ表面的には

優しさの方が出ているのでしょう

でも

人からよくそのように言われることを

どこかで自覚しつつも

時折

いや

しばしばですかね

もう自分でもあきれるくらい

厳しい

シビア

もっとネガティブな言い方をすれば

冷酷な面を持っていたりします

しばしばこの厳しい側面

自分の中から

頭をもたげるのです

これはあるいは

普段から

人がいいなんて言われる人は

その分

どこかでストレスを溜めていて

そのストレスが時折弾けてしまう

なんて話と同じことかもしれませんが

う~ん

恥ずかしながら

僕なんかそのくちではないでしょうかね

これは決して

健全とは言えないかもしれませんが

でも

良い悪いではなく

まあ

そんなもんかなとも思いますよね

なので

その人の表面に映る側面に

惑わされることなく

その面と正反対の面も

同じくらい併せ持っていると考えれば

人は皆

そう大して違わないのかなと思います

この話の着地は

優しさも厳しさも

皆、大して違わないので

努力したり

意識して気をつけたり

するのは無駄とか

そういう意味では決してないです

人間に本来備わっている

大きな枠組みを

ある程度理解しながら

どれだけ

自分の可能性を拡げられるか

絶え間なく向上し続けるのが

人間であって

例えば

優しさや厳しさという側面を

どれだけ大きく持てるか

それがその人の格

器を決めるのかな、と

なので人はその器を大きくする

つまり成長しようとする努力を

決して怠ってはいけない

というお話でした

長々と失礼しました

おまけ

振り子の画像です

↓↓↓

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  1. (株)第二営業部

    確かに片面だけの人はいないと思います。
    しかし、必ずしも半分づつのバランスでもないと思います。微妙な配分のアンバランスが人の個性だとも思います。ただし、自己中心であるのか、他者を思いやれるのかという部分が器に繋がるのではないでしょうか。意味のないプライドに執着して、誤った判断をしてしまい、さらにその原因を外に求めてしまうなど、これを反省していける力が成長ではないかと思ったりします(笑)。

  2. チョー!

    >(株)第二営業部さん
    う~ん確かにそうですね。。
    僕が言いたかったのは、いたらなさがあるから成長の余地があって、その大小が人間の器を左右するということです(#^.^#)。反省する力はまさに成長する力ですね!いつも素晴らしいコメントありがとうございます(^O^)/。