同友会被災地ボランティア参加
弊社所属の
パチンコ業界団体
日本遊技産業経営者同友会の
活動の一環で
継続して実施している
被災地復興支援活動ですが
先日
3年目となる今期の
第2次ボランティア活動に
僕も参加してきました
今回の参加数は
なんと53名
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すごい数ですね
会員企業の皆さんの思いの賜物です
活動場所は宮城県の南三陸町です
南三陸町は
数年前に
志津川町と歌津町が町村合併してできた
人口約15,000人の町ですが
2年前の東日本大震災で
壊滅的な被害を受けた地です
このあたりはリアス式海岸といって
せまい湾が複雑に入り込んだ形状をしています
リアスとは“深い入江”という意味だそうですが
このような場所は
津波が襲来した場合
湾口に比べて奥の方が狭くなっているため
波の高さが通常よりも高くなって
被害が大きくなる恐れがあるそうです
実際
東日本大震災のときは
志津川地区で
津波の高さ17メートル
歌津地区で
14~15メートルを記録
そのため以降
津波を防ぐための
高い防潮堤を設けるなどの対策が急がれているそうです
う~ん
それにしましても
志津川地区は
今だいっこうに開発が進んでいない状況です
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現在の人口15,000人という数は
震災前の半分に満たない数だそうで
実際どんどん流出が進んでしまっています
2年前から仮設住宅に住んでいる人々も
どこに集団移設するかまだ未決定という現状です
今回
縁があって
同友会としていろいろな形で
この南三陸町と関わる機会がありまして
少しでもお役に立てることができれば幸いですね
というわけで
今回は仙台からの出向ではなく
南三陸町の共同宿舎で
それぞれ相部屋で寝泊まりしての
活動というスタイルです
宿泊先は「平成の森」
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目の前に仮設住宅が並んでいます
↓↓↓
いやあ
学生時代に戻ったようで
こういうのもたまにはいいですね
というわけで
前泊入りして
翌日から活動開始です
まずは
南三陸町の被災の象徴ともいうべき
防災対策庁舎を視察し
皆で黙祷を捧げました
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当時16メートルの津波が押し寄せ
屋上の
防災無線アンテナにつかまっても
それでも波に持っていかれ
脇の階段にかろうじて引っかかって
少数の方が生き残ったという話をうかがいました
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生々しい現場です
さあ
それからボランティアセンターへ行き
この日の作業場所と内容の指示を受けました
初日は
歌津町にある
泊崎半島の長須賀海岸でのビーチ清掃です
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とにかくきれいな海です
海の向こうに牡鹿半島が見えます
ここは天然の砂浜で
地元の子供たちの大切な遊び場でしたが
震災でやむなく閉鎖
そんな中で
防潮堤をかなりの部分設けつつ
子供たちが遊べるスペースだけは確保しようと
なんとか
瓦礫などを除去していき
ようやくオープンのメドが立ったそうで
7月20日と明示
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もちろん安全第一ということで
避難経路へのオペレーションも徹底されているようです
というわけで
僕らボランティア隊に課せられたミッションは
海岸に埋まった
小さな石や瓦礫を
網や箱で振るいがけして
砂浜をきれいな状態に保つこと
となりました
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同友会のオレンジのベストが目立ってますね
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そして
作業場である海岸の砂浜にて
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さあ朝9時30分頃から作業開始
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50名以上のメンバーが
チームに分かれて
一列に並んで
ひたすら
スコップで砂浜を掘り
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網や箱に乗せて振るいにかけて
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溜まった石や瓦礫類を
集積場所に持っていくという流れです
と
この日はかなりのピーカン
照り返しもきつく
これは焼けましたね…
しっかし
この作業
なかなか遅々として進みません
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掘っても掘っても
どんどん石類が出てきます
そんな中で
みんな気合で掘って振って
頑張ってましたね
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今回弊社からは
僕以外に3名が参加
N店長、T副主任、S副主任も奮闘
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そうして15時に
見事ミッション完了
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地元の漁師さんたちに感謝のお言葉を頂きました
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というわけで
初日の作業は無事終了し
夜は
津波で流された商店たちによって作られた
南三陸さんさん商店街にて食事
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いやあ
ビールがうまい
お寿司も最高
↓↓↓
と
身体の節々が痛い中
思わずお酒が進んでしまいましたね…
その後も宿舎でメンバーたちと楽しく飲みまして…
いやはや
そういうわけで
続きは次回
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