スノッブ的な要素
前回
長々とヴィアンのことを書いている中で
スノッブという言葉がありましたが
つくづく
このスノッブ的なあり方
いわく
“紳士・教養人を気どった俗物的態度”
“流行を追う俗物根性”
といった意味合いから
“退屈な日常を快楽で紛らわす”
“その場凌ぎの遊びに興じる”
そんなイメージが
おのずと想起されるかと思いますが
う~ん
ついネガティヴに聞こえてしまうのは
無理もないこととして
どうなんでしょうか?
そうした価値観は
果たして人生にとって無用なのでしょうか?
こんなとき
僕なんかは
ついつい
パチンコと結びつけて考えがちでして
パチンコという遊技も
まさに
大当たりの快感を通して
退屈な日常を紛らす
だったり
大切な時間を無為にやり過ごす
だったりと
上述のスノッブの俗物的なイメージと
かなりかぶる部分があって
なんともネガティヴに捉えることができますかね
でも
だからといって
生を浪費する
ことになるのでしょうか?
もとより
生を浪費することは
いけないことなのでしょうか?
僕は
ムダや遊び
的な価値観は
人生において
必ずしも必要ではないかもしれませんが
豊かな人生を築く上で
欠かすことのできない
とても大切な要素だと思っています
それは
好きな人と美味しいものを食べる
気の合った仲間たちとお酒を飲む
大自然に囲まれてゴルフをする
ゴージャスな空間でカジノをする
などと同じく
まさにパチンコ遊技などは
つかの間
日常から離れて
ハラハラドキドキといった
刺激や楽しさを味わい
そうして活力を得るという
ある意味
とても有意義な行為ではないかと
僕は思います
もちろん
やり過ぎがいけないのは
言わずもがなで
仕事やプライベートの中の
少しの部分を満たせばよく
まあ
考えようによっては
ちょっと矛盾する話ですが
パチンコは
加圧トレーニングと同じで
短時間で効率よく
遊びや刺激を得ることができる
そんな生活に根ざした
とても身近で
それでいて不可欠な存在
ではないかなと思う次第です
というわけで
スノッブからパチンコへと
論理的にちょっと無理のある
飛躍した話になっちゃいましたが
長い人生
日々の生活において
少しだけ
スノッブ的な要素を
取り入れてみることを
オススメする今日この頃です
↓↓↓
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