たかが&されど
ふと最近
どんな些細なことも
「たかが」
ではなく
「されど」
と思ってしまう僕がいますね
これは
つくづく余裕がない証拠でして
「たかが」は
軽んじるニュアンスが込められているので
あまりいい意味では使われないのでしょうが
それでも人は
余裕がある時は
平気で口にしますね
お金に関してとか
些細なミスに対してとか…
でも
最近の僕は
「たかが」
…なんて
到底使えないモードになっています
凡ミスは許されない
小さなことの積み重ね
つまりニュアンス的には
どんな些細なことも
おろそかにしたり
おざなりにせず
きちんとやらなくてはならない
決して軽んじてはならない
というような
う〜ん
なかば祈りにも似た心地でしょうか
これは自分の中では
いろんなところに当てはまりまして
まあ総じて
余裕がないことの表れなのですが
それによって
大胆なことができない
許されない
そもそも
そんな気持ちになれない
そうして
むしろ今は
あまり先のことを考えずに
目の前のことにしっかりと向き合って
直面する課題を捌き続けることに
ひたすら注力するようになるわけです
まあ
コロナ第4波が押し寄せている現状
僕は
こうした少し後ろ向きなモードは
むしろちょうどいいのかなと思っています
そう自分に言い聞かせています
実際
現実処理に追われる
目の前のことをコツコツとやり続けることは
もがいてるようでしんどいですが
ある意味
地力がつく
といいますか
より
“今を生きる”実感が得られて
それはそれで
悪いことでもないかな、と
こうした感覚が
上述の
「たかが」に対しての
「されど」に当てはまり
つまり
「されど」は
小さなことかもしれませんが
コツコツと続けると
満更でもない力を得る
…みたいな
そんな地に足ついたイメージを
持つことができますかね
おっと
ハハハ
何やら軽く迷走していますが
今は特に
「されど」
が僕の身近なキーワードになっている
そんなうららかな春の
今日この頃です
おまけ
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夕陽の中のひとコマ
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