映画『はなればなれに』

1964年製作のフランス映画
『はなればなれに』
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監督・脚本は
言わずと知れた鬼才
ジャン=リュック・ゴダール(1930-2022)
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本作は
当時の妻アンナ・カリーナを主演にした
ゴダールの初期傑作群のうちの一本で
2人の男と1人の女が織り成す三角関係
行き当たりばったりの犯罪計画とその顛末を
斬新なタッチで描いた悲喜劇です
音楽は『シェルブールの雨傘』で知られる
ミシェル・ルグラン
…
冬のパリ
親友同士のフランツとアルチュールは
内気なオディールに揃って好意を抱き
3人はたちまち意気投合する
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ある日
オディールの叔母の家に大金が眠っていることを知った3人は
その金を盗み出そうと
強盗を企て実行に移すが
予期せぬハプニングから
計画は殺人事件へと発展し
3人の関係は脆くも崩れ去ってしまう…
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冒頭
タイトルロールに合わせて
ドアップで映し出される主演3人
それぞれの顔が
早いカットで
目まぐるしく入れ替わる
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映画は
雑然の中を
生き生きとしたテンポで
進行していきます
ふと
若者たちは
時折
映画のワンシーンを
文字通り、熱演する
時も場所も選ばず
あくまで唐突に…
遊び心が生む異化作用
周囲の空気が
一瞬で変容する面白さ
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上目遣いの大きな目が
キョロキョロ動く
オディール役のアンナ・カリーナの
好奇心旺盛な様
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自動車と自転車と人々が忙しない
パリ郊外の雑踏
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美しいセーヌ川のほとりで
無邪気に戯れる3人
と
こちらは有名なシーンですね
カフェでマディソンダンスを踊る3人
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吐露される心情の独白
さらには
地下の電車の中で歌い出す
切ない表情のオディール
う〜ん
即興的で
瑞々しくて
享楽的で
どこか怠惰な風情
あくまで自由に無邪気に
無意味な遊びに興じる若者たち
ゲリラ撮影によって敢行された
ルーブル美術館内を駆け抜ける3人(!)
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生々しい表情
思いつきの行き当たりばったりな行動
いまを生きる若者3人の
ビビッドな感性
リアルな心情
躍動する様…
映画は
ゴダール独特の
無造作で大胆な映像と音を駆使して
縦横無尽に展開していきます
手持ちのカメラワークや
ジャンプ・カットなどは言うに及ばず
劇中
「話すことがないなら1分間黙ろう」と
映画の音声が突然ミュートになってしまう…
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これが映画(=虚構)であることを
何らいとわないユニークな演出など
本作は
ドキュメンタリー的な即興性と
アヴァンギャルドな実験性を併せ持った
まことユニークな作品に仕上がっています
…が
とはいえ
実際のところ
ゴダールの旧作
『勝手にしやがれ』(1960)や
『女と男のいる鋪道』(1962)のような
革新性、先鋭性は
本作には特段見当たりません
こう
ちょっと二番煎じ的な
今更感が漂っていて
正直どうかなと思うところはあるのですが
う〜ん
本作の端々に見てとれる
どこか軽薄で表層的な風情
よくよく
これが
本作が撮影された
60年代前半当時の
パリの時代性なんでしょうね
つまりは
その後の68年パリ5月革命の
いわば前夜的な空気
それは空虚で
しかし何ものにとらわれない
自由気ままな風潮で
特には
アンナ・カリーナがまとう
アンニュイで気まぐれなムードが
それを如実に体現していて
そうしたニュアンスが
ゴダールによって
的確にフィルムに刻印されていて…
いやあ
これはこれで
とってもいい
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あらためて
アンナ・カリーナが魅力的ですね
というわけで
『はなればなれに』
時代の先端をひた走っていた
鬼才ゴダールによる
遊び心満載の青春群像劇
是非とも必見です
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おまけ
ゴダールの作品について
以前書いた記事です
◎『気狂いピエロ』→こちら
◎『ウイークエンド』→こちら










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