映画『アクト・オブ・キリング』
いやあ
最近なかなか時間がとれなくて
先日
ホント久々に
映画館で鑑賞しましたね
観たのは
ただいま
渋谷のイメージフォーラムにて上映中の
ドキュメンタリー映画
ジョシュア・オッペンハイマー監督の
『アクト・オブ・キリング』
↓↓↓
う~ん
それにしましても
驚愕のドキュメンタリーでした…
こんな映画
いまだかつて観たことがありません…
以下
本作の時代背景をネットより引用
…
1965年インドネシアで、スカルノ大統領(当時)親衛隊の一部がクーデター未遂事件を起こす。
クーデター収拾にあたった軍部のスハルト少将らは、事件の背後にいたのは共産党だとし、西側諸国の支援も得て65~66年にインドネシア各地で100万人とも言われる人々を“共産党関係者”だとして虐殺。
後、スハルトはインドネシアの第二代大統領として1998年に辞任するまで30年もの間、権力の座に君臨。
…
「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」
本作は
政府による後押しで
当時実際に虐殺に加担した
“プレマン”と呼ばれるヤクザたちや
民兵組織パンチャシラ青年団
といった実行者たちを取材し
彼らに
実際に行った虐殺の様子を
映画で再現してもらうという
まさに前代未聞の企画過程を追ったドキュメンタリーです
しっかし
何より衝撃なのは
加害者たちのその
あっけらかんとしたノー天気ぶり
虐殺の過去を覆い隠すどころか
オープンで愉快に
思い出深く語り
映画で虐殺や拷問を再現することについても
むしろ彼らは乗り気で
映画スターにでもなったかのような振る舞いで
積極的に映画作りに関わっていきます
これは本当に現実?
一体
何かの間違いでしょうか…
思わず目を疑います
と
それもそのはず
実行者たちは
100万もの人々を殺した身でありながら
罪に問われることはなく
それどころか
社会的に認知され
50年経った現在に至るまで
国民的英雄として
讃えられてすらいるのです
これは本当に驚くべき事実です
本作を監督した
アメリカ人のジョシュア・オッペンハイマーと
もう一人
匿名を余儀なくされたインドネシア人監督の二人は
当時およそ1000人もの虐殺を行った
プレマンのリーダー
アンワル・コンゴに密着
彼と周囲の人々が
殺人の再演(=アクト・オブ・キリング)を
嬉々として行っていく様子を
カメラに収めていきます
↓↓↓
いやあ
にわかには信じがたい光景です
すでに高齢となった元リーダー
アンワル・コンゴの
穏やかな表情と
↓↓↓
彼の口から語られる
凄惨な殺しのディテールの
この驚くべきギャップ…
↓↓↓
う~ん
目の前に映し出される映像を
一体どう受け止めていいのやら
ちょっと言葉が思いつきません…
えも言われぬ戦慄を覚えます…
そもそも
いくら時効だからといっても
映画の中で語られる
知られざる過去の事実
いわばインドネシアの暗部が
明るみになれば
どうなるのか?
加害者たちが喜んで出演する気が知れません…
製作風景も
まさに狂気の沙汰
もう悪い夢を見ているとしか思えません
滝の前の幻想シーン
おいおい
↓↓↓
と
しかし
…です
映画の中盤あたりからの
その
意外な展開に
思わず
目を見張らされます
アンワル・コンゴの
変化
苦悩…
演じることで
初めて覚えた
自責の念です
まあ
これ以上は
書けませんね…
僕は
映画が始まってから
しばらくは
驚きや戸惑いと同時に
加害者たちに対する
激しい憤りや軽蔑の念を
抱かずにはいられませんでしたが
途中
ハッと気づかされました…
この加害者たちは
自分たちと
なんら変わりのない
ごく普通の人である
という事実に…
本作のキャッチコピーにある
「私たちが見ているもの
これが悪の正体なのかー」
自分の中の
内なる悪が
加害者たちの姿を通して
自ずとあぶり出される
皮肉…
なんだか途中
観ていて苦しくなりましたね
と
まあ
そうはいいましても
全編に底流する
シュールでサイケな
パラドックスの世界は
やはり
僕にはおよそ理解し得ず
また同時に
途方もない恐ろしさを
感じずにはいられないわけでして…
いやあ
ここ近年
またこの先も
この映画の放つ
強烈なパワー
衝撃
問題提起を
上回る映画に果たして出会えるか
はなはだ疑問ですね…
必見です
と
こちらは姉妹編
同事件を被害者側の視点から見つめたドキュメンタリー
『ルック・オブ・サイレンス』(2015)
↓↓↓
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>ITおばあさん
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