映画『ブリキの太鼓』
映画評です
1979年製作
ドイツのフォルカー・シュレンドルフ監督の
『ブリキの太鼓』
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今年の4月に亡くなった
ドイツを代表するノーベル賞作家
ギュンター・グラス(1927-2015)の
あまりにも有名な同名小説の映画化で
1959年に発表されたこの小説は
発表当時、数々の賛否両論を巻き起しながらも
ドイツ戦後文学における
最も重要な長編小説のひとつと評されています
僕は小説の方は読んでませんが
この原作を忠実に映像化したと言われる本作は
とにかくまあ
すごいのなんのって
強烈なビジュアル表現に満ち溢れています
物語の舞台は
バルト海に面した軍港
現ポーランドのダンツィヒ
(…グラスの生まれ育った場所でもあります)
3歳で自らの成長を止めた少年オスカルの目を通して
ナチス政権下の激動のポーランドが描かれます
子供の目から見た大人たちの世界は
なんとまあ
醜悪で猥雑なのか
生まれながらにして特殊な能力
=自分の成長を自らの意思でコントロールする能力
を持った少年オスカルは
この大人の世界を本能的に嫌悪し
そうして
自ら大人になることをやめる
3歳のまま
成長しない決心をします
わざと階段から転落し
それが原因で成長が止まったと周囲に信じ込ませることにしたのです
と
なんと言っても
本作はもう
この主人公オスカルに尽きますね
演じた少年ダーフィト・ベンネントは
5歳くらいにしか見えない容貌ながら
撮影時の実年齢が
11歳だったというんですから驚きです
実際ホントに成長が遅かったんでしょうね
そうしたギャップゆえか
大人びた表情で
すべてを見透かしたような少年オスカルの
射るようなまなざしが
いつまでも脳裏に焼きついて離れません
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3歳の時にもらった
ブリキの太鼓を肌身離さず持ち歩き
どこだろうがおかまいなしに
太鼓を打ち鳴らすオスカル
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うるささのあまり
つい大人が取り上げようとした途端
すさまじい奇声を発し…
するとたちまち
周囲のガラスが
メガネをはじめ粉々に割れてしまいます
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このなんとも衝撃的な光景
圧巻は
見てはいけない大人の世界…
誰より
思慕の情を抱く母の
従兄との淫らな不倫行為を垣間見たことによって
やり場のない怒りを覚えたオスカルが
街一番の高さを誇る時計台に登って
太鼓を打ち鳴らしながら金切り声を上げ
街中のガラスが割れるシーン
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本作は全編が
現実にはあるはずもない
シュールな場面で散りばめられた寓話ながら
映像表現はどこまでもリアル極まりなく
ゆえに
シュルレアリズム的な悪夢を連想させ
トラウマにも似たインパクトを観る者にもたらします
全編を貫く
そのグロテスクなイメージの連鎖
ちょっと書くのもはばかられますが…
試験菅のガラスが割れてこぼれ落ちる胎児
放尿する少女
腐った牛の頭から出る鰻
それを見て吐き続ける母と太鼓を打ち鳴らすオスカル
精神を病み、取り憑かれたように魚を食べ続け
挙句死んでしまう母
う~ん
これ以上はちょっとなんですが
とにかくその描写がいちいち生々しいんですよね
ヤバいシーン満載です
異様で不快感に満ちています
つまりは
戦争の
とりわけ
ナチスの影のイメージであり
それを無意識のうちに感じとった
少年オスカルの心性の
これすなわち表出と見ていいでしょう
しかし
そうは言っても
ひと括りに戦争の産物と捉えるには
あまりに安易すぎるほど
その描写は
おぞましいほどの毒気
暴力的なまでのイマジネーションに溢れています
そしてそれにもまして
映画は
大人たちの卑猥な行為
政治に翻弄される市井の人たちの
狡猾で滑稽な姿
さらには
第二次世界大戦の始まりを告げる
ナチスドイツのポーランド侵攻と
ユダヤ人迫害という
戦争の愚業を
あからさまに描ききります
戦火の廃墟に漂う物悲しさ…
少年オスカルと故郷ポーランドが辿る
数奇な運命
また自然の成り行きからか
サーカスの一団に入り
小人や道化たちと行動を共にし
ナチスの醜悪さを助長する一端を担ったりもします
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グロテスクで
それでいて
豊穣な
少年の頃の記憶…
21歳になったオスカルはやがて
悲惨な最期を遂げた父の死を機に
ブリキの太鼓を捨て
自ら成長する決心をします
と
いやあ
なんという濃密な映像表現でしょうか
すっかりネタバレになっちゃいましたが
シュレンドルフ渾身の力作
『ブリキの太鼓』は
小説に負けず劣らぬ
映画史に残る傑作に違いありませんね
まあ
好き嫌いのはっきり分かれる問題作でしょうが
正直
こういう映画
僕は大好きです
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