映画『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
俊英、ショーン・ベイカーが
監督・脚本・編集をこなした
2017年のアメリカ映画
『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
↓↓↓
冒頭のタイトルロールにかぶさる
軽快なヒップホップ
カラフルなモーテルを舞台に
眩しい日差しの中で
無邪気にいたずらを繰り返す子供たち
しかしこのポップな光景は
子供たちから見た世界であるということに
程なくして気づきます
↓↓↓
と
本作を取り巻く背景を少々
…
映画の舞台となるここは
かのフロリダ・ディズニー・ワールドに隣接し
↓↓↓
建物の壁面がパステルパープル色で塗られた
実在のモーテル「マジック・キャッスル」です
↓↓↓
ディズニーの観光客を意識した
カラフルなデザインが
ひときわ目を引きますが
実態は低所得者たちの住居です
ここらへんは
監督いわく
低所得者向け住宅ローンの焦げ付きが原因となり
世界的な経済危機に発展したことで知られる
「サブプライムローン問題」が背景にあるそうで
彼らは家を失い
その上、新たに家を借りることができないため
こうしたモーテルに一時しのぎでなく
長期間住みついているというわけです
つまりここ「マジック・キャッスル」は
定住する家を持たない底辺の人々の
いわば溜まり場なのです
う〜ん
ディズニー・ワールドという
”世界最大の夢の国“と
貧しい生活を余儀なくされた人々が住む
「マジック・キャッスル(=魔法の城)」との
この理不尽で残酷なまでのギャップ
まさにアメリカの光と影を
象徴的に捉えていますね
しかしここが本作の秀逸なところですが
映画は悲惨な現実を垣間見せつつ
全編、子供たちの視点で
このモーテルを取り巻く日常を
楽しさと冒険に満ちた毎日として描いているのです
子供たちにかかったら
どんな環境もたちまち遊びの空間に変貌してしまいます
まさに魔法ですね
子供たちは
停まっている乗用車にツバを吐きかけたり
モーテル全体を停電にしたり
車が行き交う国道沿いを走り回ったりと
まあ大人たちを困らせる
危険な遊びや悪戯を延々繰り返します
取り巻く環境にめげないどころか
サバイバルな状況を逆手にとって
遊びに転じる子供たちの想像力とたくましさ
未知の状況を
むしろ進んで楽しもうとする感覚は
どこか現代的でもありますね
それにしても
主人公の子役、ムーニーを演じた
ブルックリン・キンバリー・プリンスちゃんは圧巻でしたね
パワフルで愛嬌があって
大人顔負けの名演技です
↓↓↓
カメラは
子供たちの目線に合わせたローアングルが多用され
ゆえに下から空を見上げるショットが多く
↓↓↓
どこまでも“上を向いて歩く”
子供たちのエネルギッシュな姿を捉えて離しません
またつくづく
フロリダの澄みわたる空
ディズニー・ワールドから打ち上げられた花火を眺める母親と子供たち
↓↓↓
さらには
無邪気に遊ぶ子供たちの姿を捉えた映像の
なんとまあ美しいこと
映画はこの暗澹たる現実を
さながらディズニー・ワールドそのもののような
夢と希望の世界に変換して見せます
う〜ん
監督のショーン・ベイカーって人は
普通のセンスの持ち主じゃないですね
とはいえ
映画は残酷な現実の側面を隠しきれません
ムーニーの親で
シングルマザーであるヘイリーの
行き当たりばったりの荒みよう
↓↓↓
全身タトゥーの彼女は
ディズニーの観光客相手にムーニーに物乞いをさせ
偽ブランドを売ったりして日銭を稼ぎ
挙げ句の果てに部屋で売春を行う
…が
彼女は彼女なりに必死で生きていて
ムーニーのことを誰よりも愛している
ムーニーも生活苦にあえぐ現状を
子供ながらによくわかって
何より母の愛情を痛いほど感じていて…
いやあ
この母子はとても深い絆で結ばれているのです
↓↓↓
さらにそんな親子に対して
常に温かい眼差しを注ぎ続ける存在が
モーテルの管理人ボビーです
親子の境遇を理解し
これ以上、状況が悪化しないようにと
見えないところでさりげない配慮を示します
↓↓↓
ウィレム・デフォーが終始抑揚を効かせた
素晴らしい演技を披露します
↓↓↓
と終盤
児童家庭局によって
母ヘイリーと引き離されることになったムーニーは
彼女を連れ去ろうとする職員を振り切って
友達のジャンシーの家へ駆け込みます
それまで気丈に振る舞っていたムーニーですが
ジャンシーの顔を見た途端
堰を切ったように泣き出してしまいます
↓↓↓
その直後の意表を突いたラスト
今までの映像のトーンが
突然ガラッと変わり
思わぬ展開へ
これは映画が
最後にかけた魔法ですね
そして監督の想いが込められた
象徴的なラストシーンです
というわけで
いやあ
なんという視点の素晴らしさ
低予算でも
これだけすごい映画ができるという
まさにお手本のような
本作はまぎれもない傑作です
この記事へのコメントはありません。