映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』
Amazonプライムで鑑賞
2017年公開のスウェーデンの映画で
この年のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した話題作
『ザ・スクエア 思いやりの聖域』
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監督・脚本はスウェーデンの若き異才
リューベン・オストルンド(1974-)
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う〜ん
ブニュエルの映画を観ているような不条理に全編包まれた
ブラックユーモア満載の悲喜劇です
有名な現代アートの美術館を統括するキュレーターとして
周囲から尊敬を集めるクリスティアンは
チームで「ザ・スクエア」というインスタレーションを展示すると発表
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これは四角形(=スクエア)の枠を設定し
その枠内を“信頼と思いやりの聖域”と定めた
いわばアート作品です
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しかし準備段階から
本展示を巡る様々な問題が彼の前に立ち塞がり
世間に思わぬ反響を呼び
やがて…
よくよく
スクエア内で
“他人への信頼と思いやりを示そう”
とするパフォーマンス自体が
善意のこれ押し売りですよね
と
映画は
引き寄せの法則が働いて(⁉︎)
企画したクリスティアン本人が
文字通り
信頼と思いやりを問われる場面に次々遭遇し
災難に見舞われます
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その度ごとの
彼の不誠実な対応や行動が
多くの人の恨みを買い
思わぬ悪循環を及ぼし
やがて取り返しのつかない事態へと発展していきます
ブラックだな…
まさに悪夢の連鎖です
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でも観ていて
つくづく自業自得と感じますね
露呈したのは
ひと言、エリート意識とその傲慢さです…
翻って
いろんな場面で
他人事には思えず
心当たりを覚える自分がいましたね
とまあ
総じて本作は
アート業界の実態を痛烈に皮肉っています
実際のところ
現代アート作品の価値って
どこまで信憑性があるのか?
そもそも
芸術の価値ってどういった尺度で決まるのか?
映画は
どんなモノも
どんな行為も
アートという名の商品になりうるという
現代資本主義社会の欺瞞を
さらには
そこに携わる人々に内在する権威主義を
シニカルに浮かび上がらせます
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と
全編シュールなエピソード満載の中で
ひときわ衝撃的だったのが
猿真似をする男のシーンです
美術館が主催する華やかなパーティの席上に
突如現れた半裸の男
チンパンジーになりきった姿で場内をうろつく
この謎の“モンキーマン”オレグは
れっきとしたパフォーマンス・アーティストで
パーティの出席者も
始めは一つのアート作品として彼のパフォーマンスを見守るのです
…が
オレグの行動は徐々に過激になり
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人々は次第に戸惑い始め
場内はたちまち張り詰めた緊張感に包まれていきます
う〜ん
このオレグの演技(!)は
まるでドキュメンタリーを観ているような迫真性で
観ているこっちも冷や汗が出てくるほどです
崩壊する信頼、モラル
おそらくこのシーンは即興で撮っているんじゃないでしょうか
見栄や体裁で固められた人々が
危機的状況におかれた際に見せる
思わぬ反応や本音、素の姿…
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つくづく
一体これはどこまでがアートなのか?
が問われる強烈なシーンでしたね
というわけで
この映画
とにかく先の読めない意表を突いた展開で
いやあ
面白かったなぁ
アート界の実情や
その本音の部分がさらけ出され
しかしこれは
現代資本主義社会のまぎれもない縮図であって
さらにはそこに生きる僕らのいやらしい本質すらも
否応なく映し出されていて
いやはや
参りました
監督オストルンドの鋭い視点に脱帽です
まぎれもない傑作ですね
ちなみに
Amazonプライムでこちらも観れます
これもやたらと面白い
『フレンチアルプスで起きたこと』(2014)
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