映画『パサジェルカ』

1963年製作のポーランド映画
『パサジェルカ』
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監督はアンジェイ・ムンク(1929-1961)
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1950年代中頃から60年代前半にかけて
社会主義リアリズムに依拠しない
自由な映画表現を志向した作家群である
通称”ポーランド派”
ムンクは
アンジェイ・ワイダ(1926-2016)
イエジー・カヴァレロヴィチ(1922-2007)
らとともに
この潮流の一角を担う存在でありながら
1961年
本作の製作途中に交通事故に遭い
39歳で不慮の死を遂げます
そんな中
同僚や編集者たちによって
ムンクが生前に撮っていた未完のフィルムと
スチール写真、ナレーションを組み合わせて
最終的に
上映時間62分の作品として完成させたのが
本作『パサジェルカ』となります
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「パサジェルカ」とは
ポーランド語で「女性の乗客」という意味
映画は
戦争中にドイツ軍将校だった女性リーザが
戦後、新婚旅行で豪華客船に乗った際
かつての強制収容所の囚人マルタに出会ったことから
当時を回想するという形で進行します
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舞台となるのは
第2次世界大戦中のアウシュヴィッツ強制収容所
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ここでの看守と囚人たちの日常の風景
とりわけ
ドイツ人将校のリーザと
ポーランド人の囚人マルタの
関係性を軸に
物語は展開していきます
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と
本作の重要なポイント
それは
これがあくまで
女性SS隊員リーザの目から見た
アウシュビッツだということ
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リーザが当時をふり返りながら語る
収容所のイメージと
そこにかぶさるように映し出される
収容所での残酷な現実との
この驚くべきギャップ
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映画は
リーザの回想の傍らで
囚人に対する虐待や絞首刑、銃殺刑
はたまたガス室での大量殺戮といった
ここアウシュヴィッツで遂行された
ホロコースト(ユダヤ人虐殺)の実態を
断片的にさりげなく
そして
限りなくドキュメンタリーに近い迫真性で
丹念に映し出していきます
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何より本作は
ドイツ人将校リーザと
ポーランド人の囚人マルタの
それぞれの視点
つまりは
加害者と被害者の立場の違いを
鮮烈に浮かび上がらせています
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あらためて
E・H・カーの『歴史とは何か』(1961)
を紐解くまでもなく
この世に客観的な歴史など存在しません
本作は
ホロコーストという
国家的組織的な犯罪行為に対する
加害者の正当性を
ひとりの女性将校を通して示しつつ
同時に
その欺瞞を
ドキュメンタリータッチの
リアルな映像を通して
白日の元に晒します
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う〜ん
観る者の想像力を刺激し
その上で自ずと
静かなる衝撃をもたらします
って
戦後、豪華客船で出会った
リーザとマルタが
実際どのような会話を交わし
その後どうなったかの行方は
本作では語られず
唐突に終わりを告げます
監督であるムンクの意図がわからない以上
周囲の者たちが
新たに創作するわけにもいかないゆえ
この先は観る者の
文字通り
想像にお任せする他ないという
曖昧な締めくくりとなっています
しかしよくよく
ポーランド人の囚人だったマルタが
その後も生き残って
豪華客船に乗っているという状況は
加害と被害の構図を
そのまま当てはめるだけでは
容易に語れない
何らかの要因なり出来事が
もしやあったのでは?
という推測もできて
興味深い限りですね
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つくづく
映し出される収容所内の生々しい映像と
そこで繰り広げられるドラマの行方
スチール写真とナレーションで物語を補完するユニークな手法
それでも補いきれず
尻切れとんぼのようにプツンと途切れた結末
などなど
映画は
ホロコーストに見る人間の底知れぬ闇の側面を
想像を張り巡らすほどに喚起させ
失われた遠い記憶の断片を
その真実の可否を
観る者に突きつけます
ふぅ
何とまあ
濃密な62分でしょうか
というわけで
ムンクの遺作
『パサジェルカ』
いやあ
あらためて
すごい映画
様々な示唆に富んだ
まこと必見のドラマです
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