映画『グッドフェローズ』

1990年のアメリカ映画
『グッドフェローズ』
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監督は巨匠
マーティン・スコセッシ(1942-)
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輝かしいフィルモグラフィーの中で
彼の最高傑作との呼び声が高い本作は
1955年から1980年にかけて
ニューヨークのイタリア系マフィアの世界を生きた
ヘンリー・ヒルという
実在の男を題材とした実録犯罪物です
…
「俺は物心ついたときから、ギャングになりたかった」
1950年代のニューヨーク、ブルックリン
街を牛耳るイタリア系マフィアに憧れていた少年ヘンリーは
小間使いを経て
やがてマフィアの一員となる
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そうして
冷酷でしたたかな兄貴分ジミーや
制御不能なサイコパスのトミーら仲間たちと
盗み・恐喝・麻薬取引・殺人など
次々と犯罪を重ね
欲望にまみれた絶頂の日々を送っていく
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しかし1970年代に入り
麻薬ビジネスへ深入りしたことなどから
仲間内で疑心暗鬼が生じ
FBIの捜査も入り
徐々に歯車が狂い始める
ジミーは裏切りを恐れ仲間を消し始め
トミーは危険な性格が災いして組織から消される
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そしてヘンリー自身はコカイン中毒に溺れ
最終的に仲間を裏切り
FBIとの司法取引に応じることで
ひとり生き延びる…
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“グッドフェローズ”とは
マフィア界の隠語で
“同じ組織の仲間”
“信用できる身内”
といった意味
ふと
題材として
映画の中で描かれるギャングといえば
お洒落な三揃えのスーツを着こなし
刺激的なバイオレンスに満ちた世界で
明日をも知れぬ命を燃やす男たち
というように
往々にして
古くから
カッコいい存在として
定義されるようになってしまいましたが
スコセッシは
本作で
マフィアのありのままの姿
感情のスイッチが壊れたトミーの凶暴性
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“グッドフェローズ”の仲間たちを
身を守るため平気で売るヘンリーの薄情さ
口を曲げた卑猥な笑い
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など
道徳も情緒もへったくれもない
そのリアルで残酷な実態を
あくまで肯定も否定もなく
克明に描写することに努めます
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と同時に
そこには
アメリカ社会における
イタリア系移民の
アウトローな生活感覚が
生々しいディテールとともに
にわかに炙り出されます
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と
つくづく
本作に見る
前半の成功の快楽から
後半の破滅のパニックへと至る
この圧倒的な落差…
スコセッシの演出は冴えに冴え
ヘンリーが過ごした
刺激と混沌に満ちた25年を
流麗なカメラワーク
ナレーションと早いカットに
60〜70年代の音楽をかぶせながら
怒涛の猛スピードで描写
本作において
円熟の映像スタイルが確立します
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とまあ
とにかくもう
役者たちが最高です
貫禄のデ・ニーロは言わずもがなで
安定の存在感で
映っているだけで画が締まりますね
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そして本作で俳優としての成功を決定づけた
レイ・リオッタ
終盤の薬物で壊れていく一日を
刻一刻と描写したシーンにおける
疲労と焦燥に駆られた演技は圧巻でしたね
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さらにもうひとり
本作はなんといっても
ジョー・ペシに負うところ大ですね
いつキレるのか
もうすでにキレているのか
まったく判別できない
この恐ろしさ…
「何が面白いんだ?」
の有名なシーンは
どこまでが演技なのかわからない
底知れぬ狂気を
笑顔の中にたたえていて
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いやはや
本作に底流する
即物的な軽薄さ
楽天的なムードの中に宿る
張りつめた緊張感
ある種、負の空気を
まさに体現していると言えましょう
というわけで
『グッドフェローズ』
いやあ
巨匠スコセッシが
現代アメリカ社会における
資本主義の産物としての
マフィアの世界を
美化も断罪もなく描き切った力作
今更ながら
これは傑作
オススメです
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