無意味な試み

シュルレアリスムの作家

アンドレ・ブルトンの

『ナジャ』より

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以下、引用

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「…

私はマルセイユの旧港の桟橋の上で

日没少し前

ひとりの異様なほど細心な画家が

巧緻と早業とをもって画布にむかい

沈みゆく夕陽と闘っているのを見たことがある。

太陽をあらわす画布の上の斑点は

日の落ちるにつれて少しずつ下に下がっていった。

しまいには何も見えなくなった。

画家はふいに

ひどく遅れをとっているのに気がついた。

彼は赤い色を塗りつぶし

水面に残る一、二の映光をも消し去ってしまった。

彼にとっては完成され

私にとっては世にも未完成な代物となったこの絵は

いかにも悲しげな

いかにも美しいものに思われた。

…」

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ふと

そういえば

だいぶ以前に

似たような映画を観たな

画家のアントニオ・ロペスが

陽光に照らされたマルメロの

刻々と移り変わる姿を

絵画でとらえようと試みた

1992年製作のドキュメンタリー

スペインのビクトル・エリセ監督

『マルメロの陽光』

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う~ん

移りゆくときの中で

一瞬だけ

垣間見える

永遠

普遍

それを捉える難しさ

でも

そんなはかないものにこそ

人は魅せられるのではないでしょうか

それは一見すると

ナンセンス

非効率

無意味な試み…

と捉えられてしまうかもしれません

でもそこに

なにかしら

自分だけの価値を見出し

さらには

そこに

自分なりの流儀を投影させようとする

これはとっても純粋な行為

また

そうすることは

自己を表現する

ひとつの明確な手段であったりするわけです

例えば

ストイックなまでに肉体を酷使する

飽くなきアスリートオヤジであったり

お笑いに命をかける芸人だったり

役に立たない物の収集に執念を燃やしたり

娘の喜ぶ顔が見たい

ただそれだけのために

せっせとおままごとをして一緒に遊んだり

(えっ

なんでもいいと思います

自分がそこに情熱を傾けるだけの

何かきっかけさえあれば

たとえ消えて残らなくっても

無駄に終わっても

いいと思います

大いなるロマンを感じて

追い求めている自分が

そこに確かにいれば

それでいいんじゃないかと思います

自己満足かどうかは

他人ではなく自分が決めること

人になんと言われようが

自分の気持ちと正直に向き合って

自分の価値観に忠実に従って

よかれと思うことに

エネルギーを注げばいいと思います

そうすることで

はじめて

自分にしかわからない

何かが見えてくるのかなと

つくづく思う次第です

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