無意味なこと

photo:02

以下、引用クリップ


…私はマルセイユの旧港の桟橋の上で


日没少し前


ひとりの異様なほど細心な画家が


巧緻と早業とをもって画布にむかい


沈みゆく夕陽と闘っているのを見たことがある。


太陽をあらわす画布の上の斑点は


日の落ちるにつれて少しずつ下に下がっていった。


しまいには何も見えなくなった。


画家はふいに、


ひどく遅れをとっているのに気がついた。


彼は赤い色を塗りつぶし


水面に残る一、二の映光をも消し去ってしまった。


彼にとっては完成され


私にとっては世にも未完成な代物となったこの絵は


いかにも悲しげな


いかにも美しいものに思われた。





アンドレ・ブルトン『ナジャ』より

↓↓↓


そういえば



だいぶ以前に



似たような映画を観たな…


画家のアントニオ・ロペスが


陽光に照らされたマルメロの


刻々と移り変わる姿を



絵画でとらえようと試みたアート


ドキュメンタリー映画

↓↓↓

マルメロの陽光 [DVD]/アントニオ・ロペス・ガルシア,マリア・モレノ,エンリケ・ゲラン


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う~ん



移りゆくときの中で


一瞬だけ


垣間見える目


永遠キラキラ


普遍虹


それを捉える難しさ…


でも


そんなはかないものにこそ


人は魅せられるのではないでしょうか!?


それは一見すると



無意味



非効率



ナンセンス…



と捉えられてしまうかもしれません



でもそこに



なにかしら



自分だけの価値を見出しひらめき電球



さらには



そこに



自分なりの流儀を投影させようとするグー



これはとっても純粋な行為晴れ



また



そうすることは



自己を表現するひとつの明確な手段であったりするわけですチョキ



例えば



ストイックなまでに肉体を酷使する



飽くなきアスリートオヤジであったり走る人



お笑いに命をかける芸人だったり



役に立たない物の収集に執念を燃やしたりメラメラ



娘の喜ぶ顔が見たいラブラブ



ただそれだけのために



せっせとおままごとをして一緒に遊んだり…音譜



(えっ…あせる



なんでもいいと思いますパー



自分がそこに情熱を傾けるだけのきっかけさえあれば



たとえ消えて残らなくっても



無駄に終わっても



いいと思います



大いなるロマンを感じて追い求めている自分が



そこに確かにいれば



それでいいんじゃないかと思いますグッド!



自己満足かどうかは



他人ではなく自分が決めることドクロ



人になんと言われようが



自分の気持ちと正直に向き合って



自分の価値観に忠実に従って



よかれと思うことにエネルギーを注げばいいと思いますドンッ



そうすることで



はじめて



自分にしかわからない



“何か”が見えてくるのかなと思います合格



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