多感と鈍感

前回の

『野性と理性』話の続きを少々

ふと

この

野性と理性

少しアレンジしてみると

多感と鈍感

というのも考えられます

これはどういうことかといいますと

人は幼い頃や

まだ知識や経験の足らない歳の頃は

とかく感受性が高く

多感で繊細な感性を持っているのですが

歳とともに

知識や経験を積むに従って

そう易々とは感情が動じなくなり

鈍感で図太くなっていく

まあ

よくよく

子供から大人へと成長するということは

単純化すれば

何にでも感動できる瑞々しい感性

…を失うとともに

厳しい世の中を生き抜くための

強さと知恵を身につける

ということになりましょうか

もちろん

子供の心を持った大人だっているので

一概には言えませんが

いずれにせよ

世の中を生きていくということは

その過程において

いろんなことを

学び、知り、経験していくわけで

それにともなって

人は子供から大人へと進化を遂げるのです

では

知識や経験が豊富な方が

よくて

無知で経験が浅い方が

ダメなのか

ということですが

う〜ん

これまた

一概には言えないように思います

知りたい

経験したい

という欲求があって

人はいろんなことを

吸収し成長するわけですが

逆に

知りすぎて

経験が豊富すぎるあまり

感受性が相対的に退化する

ということも考えられるかな

つまりは

よほどの事でもないかぎり

感動して涙を流すなんてことが

なくなる…

ふと

たとえば

つまらない映画を

面白いと思える感性と

映画のことを観すぎて

よほどの映画じゃないかぎり

面白いと思えない感性…

つくづく

知っているのと知らないのと

果たしてどっちが幸せでしょうか

知れば知るほど

少々のものでは飽き足らなくなり

楽しむ範囲が

どんどんと狭まってしまう

いやいや

その分

狭いストライクゾーンにハマったものは

楽しさも倍増するので

広く浅くより

狭く深くを追求した方が

より楽しく豊かなのかなと

思いたいところですが

その価値観は人それぞれですかね

とまあ

そんなこんな

何の話だか

だいぶ飛んでいってしまいましたが

多感と鈍感

これも人生において

割合を変えながら

自分の中で保有している

とても大切な要素のように思う

今日この頃です

…が

いやあ

いくつになっても

五感に触れるいろんなものに

感動できる感性だけは

持っていたいものですね

↓↓↓

つくづく…

↓↓↓

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