写真家・杉本博司の眼
写真家、現代美術作家の
杉本博司(1948-)
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写真による表現活動のみならず
近年は自作と自身で収集した古美術品を
組み合わせる表現活動を展開したり
また私財を投じた文化施設
を開館したり
古典芸能の舞台美術・演出を手がけるなど
幅広い分野で活躍するアーティストです
と
2020年3月21日に
リニューアルオープンした
京都市京セラ美術館の開館記念展として
『杉本博司 瑠璃の浄土』
を開催予定でしたが
新型コロナウイルス感染予防・拡散防止のため
あいにく開幕が延期となってしまいました
う〜ん
京都なので
実際観に行くのは難しいでしょうが
ちょっと残念ですね
“時間の概念や人間の知覚、意識の起源に関する問いを探求”
◎杉本博司《OPTICKS 008》(2018)
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形ではなく色そのものを撮る
光の色そのものをフィルムに定着させる
という壮大なる試み
◎杉本博司《仏の海 007》(1995)
提供:妙法院
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三十三間堂の威容を写しながら
まったく別の表情や新しい視点を提示し
観る者にインスピレーションを促す
いやあ
本展はまさに
コンセプチュアル・アートの真髄を堪能できる
素晴らしい機会となるはずだったんですがね…
と
終わりに
話は変わりますが
さる4月15日の読売新聞(全国版)朝刊文化面にて
杉本博司氏の寄稿記事が掲載されました
あまりにも目を開かされる文でしたので
最後の段落のみ
以下、転載させていただきます
本寄稿文のタイトルは
『頃難に思う』
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「…中世のペスト流行時、人々は神が人を罰しているのだと思った。しかし今、神は人を罰するほどの力を失ってしまった。私は自然の摂理が人を罰しているのではないかと思うのだ。文明とは環境破壊を食い物にして成長する。今、成長の臨界に達した一生命種としての人類は、全滅を避けるための自動調節機能が働いて、活動の自粛を求められているのだ。全世界が自粛する中、ベニスの運河には透き通った水が戻り、京都やフィレンツェには昔日の面影が戻ってきた。
これからの世界の行く末、私は成長しないことこそが成長であるという文明の転回点に今我はいるのだと思う。1962年に文明の行く末に警鐘を鳴らしたレイチェル・カーソンによる名著『沈黙の春』。農薬や化学物質の汚染によって近い将来、春に鳥が鳴くことがなくなるという恐ろしい予言だ。今年の春、幸いにも鳥はまだ鳴いている、しかし世界は沈黙の中に静まり返っている。」
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