映画『聖なる鹿殺し』

2017年アイルランド、イギリス合作

『聖なる鹿殺し』

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監督、脚本はギリシャ出身の若き鬼才

ヨルゴス・ランティモス(1973-)

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う〜ん

恐るべき映画です

心臓外科医のスティーブン(コリン・ファレル)

美しい妻アナ(ニコール・キッドマン)2人の子供たちと共に

郊外の豪邸で平穏に暮らしている

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彼はたまにマーティン(バリー・コーガン)という少年に会っては

腕時計をプレゼントしたりして

よくしてやっている

実はスティーブンは

手術中のミスで

マーティンの父親を死なせてしまった過去があり

その償いの意味で何かと気にかけていた

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そんな2人の関係は良好なようだったが

マーティンを家に招き入れ

家族に紹介したあたりから

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やがて子供たちに異変が起き始める

最初に息子のボブが突然歩けなくなる

病院で検査をしても原因は不明

途方に暮れるスティーブンに

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ある日、マーティンが

おもむろに

恐ろしいことを告げる

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「先生は僕の家族を1人殺した

だから家族を1人殺さなければならない

誰にするかはご自由に

もし殺さなければ皆死ぬ

ボブもキムも奥さんも病気で死ぬ

段階は4

1.手足の麻痺

2.食事の拒否

3.目から出血

4.そして死

でも先生は助かる

安心して

誰にするか数日で決めてほしい」

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にわかには信じられず

直ちにマーティンを追い払うスティーブンだったが

やがて息子のボブのみならず

娘のアナも同じ症状を見せ始め

マーティンが予告した通りになっていく

なす術のないスティーブンは

崩壊していく家族を見つめながら

最後に無情な選択に迫られる

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う〜ん

不可解だ

ミステリアスだ

何なんだ、この世界は

一体何が起きているんだ?

最後の最後まで晴れることのない

不条理

まるでカフカの小説のようです

(そういえば前作『ロブスター』は、人間が虫ならぬ動物に変わっちゃう話でした)

種明かしがあるわけでもない

合理的な解釈もできず

謎が謎のまま

重苦しく不穏な空気感が終始保たれます

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いやあ

こういう映画好きだなぁ

本編においては

上述の通り

その特異な世界観を構成する上での

現実にはあり得ないであろう

奇妙な規則が存在します

そのルールの創造主として君臨するのが

この得体の知れない少年マーティンです

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スティーブンの子供たちに起こる異変を

意のままに操っているように振る舞う

この不気味な少年は

一体何者なのか?

劇中

足の具合を診てもらった息子のボブが

母のアナと病院内を歩いていくシーン

長いエスカレーターを降りて

数歩進んだところで

突如その場に倒れ込むボブ

慌てて助けを求めるアナ

その様子を天井高の俯瞰した位置から

ひたすらに凝視し続ける

冷徹なまでのカメラの眼差し

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これは言うならば

神の視点

観ていて

つい直感的に

虚ろな目をしたマーティンを連想させます

上からの目線は

そうした意図をほのめかせる演出と言えましょうか

よくよく

少年が一家に侵食し

一人一人に

精神的、肉体的作用を及ぼしていく様は

これパゾリーニの『テオレマ』(1968)

真っ先に想起させますね

また

本作は何せ映像が独特で

緊張感のあるシンメトリーの構図が多用され

音楽も奇妙な効果音と共に不吉なムードを助長

加えてニコール・キッドマンが出演しているとなると

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自ずと空虚な単音が印象的な

キューブリックの『アイズ・ワイド・シャット』(1999)を彷彿させます

しっかしつくづく

特筆すべきは

至る所で見られる

ディテールの不自然さです

スティーブンの家族は

何不自由のない幸せな一家のはずなのに

全く幸せそうに見えない

皆、決して笑顔を見せないし

誰もがボソボソとしゃべって

まるで感情がこもっていない

一体どういうこと

マネキン人形のように硬直したニコールの

全身麻酔プレイの異様

う〜ん

全編を覆うシュールなまでの虚無感

エロスとタナトスが蔓延した世界

やがて炙り出される悪意

少年が介在することによって

残酷な本音が晒され

次第に

家族の力学が変容していく

何よりスティーブンとマーティンという

主従の関係

いわばヒエラルキーが逆転し

少年が精神的な優位に立つ

そして

家族という共同体の幻想

生存を脅かされた一人一人がとる

醜くもやましい言動を

まるで昆虫か何かを見るような

生態学的な観察眼で

終始淡々と追っていきます

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いやはや

ネガティブで絶望的で

わずかな救いも見出せないまま

ラストまで続いていく悪夢の展開

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ところで本作のタイトルは

劇中

娘キムによって語られる

ギリシャ悲劇からの引用で

ある償いから生贄を差し出す的な内容のニュアンスですね

というわけで

ああ

まだまだ書き足りないなぁ

とにかく

意味深で不快でアブノーマルで

しかしつい惹き込まれずにはいられない

強烈な磁力に満ち満ちた怪作

あらためて

ランティモス監督の

特異なセンスと卓越したビジョン

その恐るべき才能に

ひたすら脱帽させられる一本

やはり

かなり好き嫌いが分かれる映画でしょうが

いやあ

これはまぎれもない傑作です

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