五輪の映画
ロンドンオリンピック盛り上がってますね
僕はそんなに熱心に見る方じゃないのですが
体操はちょっと見ちゃいました
内村選手やりましたね~
大したものです
それと
あの16歳の明日香ちゃんいいですね~
ホントによくまあ
世界の大舞台で
あんな人間離れしたことできるよなぁ~
とつくづく感心します
特に平均台
あれは見ていてヒヤヒヤしますね…
それと床と跳馬の鬼のようなスピード
人間業じゃありませんね…
オリンピックの選手たちは
TVで見てる限り
プレッシャーに打ち勝つという意味で
誰よりも自分自身と戦っている印象が強いですね
まあ基本的には
みんな国を背負ってるので
そこらへんも知らず知らず
重圧となっているのでしょうね
必死さが画面から伝わってきます
…と
ここで
オリンピックのドキュメンタリーをご紹介
五輪を記録した映画といえば
もうこれを超えるものはないでしょう
ドイツの鬼才
レニ・リーフェンシュタール監督による
1938年の
ベルリン・オリンピックの記録映画
『オリンピア』
この映画は二部構成になっています
第一部『民族の祭典』
↓↓↓
第二部『美の祭典』
↓↓↓
1930年代ドイツといえば
ナチスの全盛期
そもそもベルリン・オリンピック自体が
ナチス・ドイツの威信を
世界に知らしめるための
政治的なプロバガンタの手段の一つだったわけでして
そうしてナチスの全面的な協力のもと
この映画は製作されたのです
しかし戦後
レニ監督は
いくつかの映画で
ナチスの片棒を担いだことによって
映画界からの追放を余儀なくされ
以後呪われた監督のレッテルを貼られてしまいます
まあそうした
いわくつきの監督の作品ながら
この映画は
単なるオリンピックの記録にとどまらない
その芸術的な表現によって
今なお名作として高い評価を受けているのです
この映画の特徴…
それは
選手たちの身体に着目し
一流のスポーツ選手たちの
身体美を
徹底的に追求した点にあります
隆々たる筋肉
躍動する肉体
レニ監督は
ギリシャ神話の彫刻になぞらえて
身体が持つ普遍的な美しさを
余すことなく表現しようと試みたのです
いやあ
神とも紛うかたなきその姿
↓↓↓
まあそうなると
これはオリンピックの純粋な記録とは
到底言いがたいかもしれませんが
それでもこれは紛れもない選手たちの姿です
“記録”と相反するとみなされがちな
“芸術”的な観点
↓↓↓
そうした斬新かつ特異な視点こそが
この映画が長い年月を経てもなお
色褪せない要因と言えましょうかね
しかし一方で
選手たちを身体美で表現することによって
にわかに浮かび上がる
匿名性
団体競技に見る
無機質さ
沸き立つ観衆と一体となることで生まれる
高揚感
う~ん
これはレニ監督の演出上の話だけにとどまらず
オリンピックなどのスポーツがはらむ
別の見方として
否応なく
全体主義的な色合いが感じられます
…と
それはさておき
もう一本
今度は日本が誇るオリンピック映画の傑作
『東京オリンピック』
↓↓↓
1964年の東京オリンピックを記録した
市川崑監督作品です
この作品は
『オリンピア』とはまた違った視点で
記録映画の枠にとどまらない
芸術性を獲得することに成功した
稀有な作品です
まあ一言
オリンピックの記録と称して
人間を描いているといったところでしょうか
選手一人一人にしっかりと焦点が当てられ
丹念に描写されています
市川監督は
事前に画コンテなどを描いて
そうしたアングルなりショットを
あらかじめ狙って撮ったと言われています
う~ん
これはある意味、反則技
記録映画にあるまじき行為
しかし市川監督は
明確なビジョンに基づいた画作りを
妥協なく積み重ねていくのです
例えば
ラストの男子マラソン…
あの“裸足のアベベ”で有名な
エチオピアのアベベ選手の走る姿を
長~いスローモーションで捉えたショット
走る
走る
走る…
無言の表情や強靭な脚力など
部分部分を押さえながら
アベベの
ただひたすら走る姿を
フィルムに刻印したのです
↓↓↓
そこからにわかに立ち上がってくる
マラソンという競技の過酷さ
ランナーの孤独感
さらには
苦難の生活背景を想像するに余りある
アベベの気迫
そして
一流の選手に漂う
ある種の聖性…
いやあ
静かでシンプルな演出ながら
この上なく美しくドラマティックです
…と
まあ
これらはいつでも観れるとして
やっぱり今はリアルタイム真っ最中の
熱き戦いに注目
ですよね~
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