映画『イニシェリン島の精霊』
2022年製作
アイルランド・イギリス・アメリカ合作の
『イニシェリン島の精霊』
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監督・脚本は『スリー・ビルボード』(2017)などで知られる俊英
マーティン・マクドナー(1970-)
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…
1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島
住民全員が顔見知りの
この小さな島で暮らすパードリックは
この日もまたいつものように一緒にパブで飲もうと
長年の友人コルムを誘うが
突然、彼から何の前触れもなく絶縁を言い渡されてしまう
全く身に覚えのないパードリックが
日をあらためて理由を尋ねると
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「お前が嫌いになっただけ」
「お前とのつまらない会話で大事な時間を無駄にしたくない」
「残りの人生を作曲と思索に没頭したい」
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と、あからさまな拒絶の返答をもらってしまう
何かの冗談だろうと
その後もしつこく問いただすパードリックに対し
コルムは
「これ以上、俺に関わろうとするなら
俺は自分の指を一本ずつ切ってお前にくれてやる」
とまで言い放つのだった…
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男2人の友情の断絶という
いささかスケールの小さい話が
圧倒的に雄大な大自然のもとで
淡々と進行していくこのギャップ
ある種
シュールで意味深な展開
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と全編に漂う
島全体を覆う不穏な空気
どうにも拭えない閉塞感…
本作のタイトルから
自ずと想起させられるところでは
この孤島に精霊が宿っている
島内をうろちょろと浮遊している
それが感情の火種という形となって
いや
形はないのですが
でもその目に見えないものが
人々の周囲にいつまでもまとわりついて離れず
何かおかしな方向へと人々が陥っていく
そんなイメージでしょうか
知らず知らず
諍いの種が人から人へと
この場合は2人の男たちの間を
ぐるぐると回り回っていく
最悪の結末を迎えるその時まで…
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まさに負の連鎖
しかしよくよく登場人物のこの2人
そう悪い人間には見えません
悪意を感じるわけでもなければ
憎悪に満ちているわけでもありません
でもどうにも相容れない
価値観、思想の
ある種、決定的な違いといいますか
ふと
まるでこの構図は
劇中でも語られていますが
対岸で起きているアイルランドの内戦を
比喩しているのかもしれませんね
しっかし
ちょっと
なんといいますか
どこまでがシャレなのか
わかりかねるところがあって
あまりに現実離れしたシュールな展開に
これは笑うとこなのか
それとも大真面目なのか
一体どっちなの
という唐突さが随所にあって
どうにも観ていて戸惑いますね
それにしても指をねぇ…
まあシリアスを突き詰めると
コメディに転化する
これ高度な話法なのでしょうね、きっと
うん
そうに違いない…
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と
出演者たちは皆アイルランド出身の役者さんで
自身、アイルランド人を両親に持つ監督の
強いこだわりが感じられますね
主演の2人はじめ
登場人物たちが皆いい味出しています
親友からの思わぬ仕打ちに戸惑いを隠さず
やがて過激な報復にひた走る善人の男に
コリン・ファレル
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そして極端な理屈と行動で
親友を突き放す頑なな男に
ブレンダン・グリーソン
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この2人の立ち居振る舞いが絶妙で
コメディとシリアスを行ったり来たりしながら
うまくバランスを保っています
そこにケリー・コンドン演じる読書好きの知的な妹や
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バリー・コーガン演じる純真無垢な警官の息子が加わり
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物語に更なる深みを持たせています
つくづく
この奇妙な寓話の行く末を
憂うこと以外、他にないのでしょうか
映画は観ている僕らに静かに問いかけます
しっかしまあ
マクドナー監督の知性とユーモアに脱帽ですね
というわけで
『イニシェリン島の精霊』
なんとも不条理で
しかし確かな説得力を観る者にもたらす
深淵な人間ドラマの傑作です
おまけ
こちらは前作『スリー・ビルボード』について
以前書いたブログ記事です→こちら
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