映画『汚れなき抱擁』
1960年製作のイタリア映画
『汚れなき抱擁』
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監督は名匠
マウロ・ボロニーニ(1922-2001)
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原題は『美男アントニオ』
マルチェロ・マストロヤンニ演じる
プレイボーイのアントニオが
クラウディア・カルディナーレ演じる
清純な娘、バルバラを妻にするも
突然、性的不能に陥り苦悩するという
かなり異色のドラマです
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舞台はシチリアのカターニア
裕福な家柄の息子で
ローマ遊学から帰省したアントニオは
それまで一切興味を示さなかったのに
縁談を持ちかけてきた父から
バルバラの写真を見せられ
ひと目で気に入り
そうしてやがて二人は結婚の契りを交わす
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しかし挙式から一年近く経った後
突然、二人の結婚は無効とされてしまう
バルバラは生娘のままで
“アントニオは不能“だと
小さな町は噂で持ちきりとなる…
そんな中で
若い女中が
アントニオの子を宿したことが判明する
これによって彼は不能でないと証明され
母は大喜びで
このことを周囲にふれまわったが
祝福を受けるアントニオは
バルバラへの思いを断ち切れず
物憂げに一縷の涙を流すのだった…
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…
いやはや
意表をつく展開です
それはそうと
「マ〜マ!」
「アント〜ニオ!」
ローマから帰省して
母と抱き合うアントニオを捉えた冒頭から
どこか
僕ら在日社会とも相通じる
家族主義の濃厚さを
ホトホト感じさせますね
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と
つくづく
本作の端々において
イタリアにおける家父長制的なあり方
もとより
厳格なカトリック信仰に根差した
イタリア社会の保守性を
リアルに垣間見ることができます
故に
男は男らしさ
女は女らしさが求められ
その規範として
婚姻制度が
社会のど真ん中に位置しているという現実
その傾向が
イタリアの
とりわけ地方(本作ではカターニア)に根強いのは
う〜ん
これ容易に見てとれますね
マストロヤンニとカルディナーレという配役も
そんなあるべき理想の夫婦像を体現し
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しかし
その定型が崩れ去った途端
たちまち状況は反転し
社会や町における閉鎖性、排他性が
にわかに露呈するのです
父や母が世間体を気にして
必死になって噂を揉み消そうとする様が
滑稽で哀しいですね
それにしても
このアントニオ
世の女性を虜にする遊び人としてならすも
妻だけがダメだなんて
なんとも繊細といいますか
屈折しているといいますか
上述したような社会背景の中で
結婚を神聖視し過ぎるあまり
どうにも
理想の形に囚われてしまっている
本作は
そうしたイタリア社会がはらむ
負の側面を
窮屈な状況下で
苦悩するアントニオの姿を通して
まことシニカルに描いています
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ふと
この映画には
監督デビュー前のパゾリーニが
脚本に参加しています(!)
なるほど
どおりで異色のストーリーのはずだ
と
本作は
名実ともに
マストロヤンニの代表作として挙げられる
フェリーニの『甘い生活』(1960)の
次に撮った作品で
優男のプレイボーイ
という役どころは
どこか前作『甘い生活』のキャラを
一部踏襲した感があり
その美男のマストロヤンニが
ここでは
性的不能に陥るという
これはもう
パラドックスといいますか
コメディにしてもよかったのでしょうがね
しかし
神妙で物憂げな表情のマストロヤンニが
度々アップで映し出されて
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ボロニーニの細やかで
シリアスに徹した演出が
むしろ真摯さを際立たせてよかったですね
しっかし
この頃のマストロヤンニは
ため息の出るようないい男ぶりでした
まさにイタリアが世界に誇る
ラテン・ラヴァーの代表格ですね
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そんなこんな
いやあ
イタリア映画って
やっぱり面白い
というわけで
『汚れなき抱擁』
60年代初頭のイタリア社会の
理想と現実を映し出した
異色のラブストーリー
これはまぎれもない傑作です
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