映画『ザ・マスター』

2012年のアメリカ映画

鬼才、ポール・トーマス・アンダーソン監督の

『ザ・マスター』

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いやあ

僕の中では

ほぼ間違いなく

今年のベスト1ですね

もう冒頭からラストまで

唸りっぱなしでしたね

2次世界大戦直後のアメリカ

戦争が終結し

帰還した海兵隊員のフレディは

写真業を営むも

戦争体験からくる

アルコール依存や心身の不安定な状態を抱え

社会生活にうまく適応できずにいた

そんなある日彼は

「ザ・コーズ」という宗教組織で

信者たちからマスターと呼ばれている

ランカスター・ドッドに出会う

彼は独自のメソッドで

人々を心の悩みから解放し

フレディもランカスターのカウンセリングによって

次第に心の平静を取り戻していく

そうしてフレディはランカスターの弟子になり

2人は行動を共にしていくが

新興宗教の教祖と

その弟子となった男を描いた

人間ドラマです

1950年代のアメリカ社会は

戦後好景気に沸く一方で

心的外傷に苦しむ帰還兵などが多く存在し

そうした時代背景の中で

スピリチュアルな潮流が芽生え

やがて新興宗教が台頭し始めます

この映画は

そうした

凄惨極まりない戦争と

その直後に訪れた大量消費社会の

狭間で

もがき苦しむ主人公の姿を通して

戦後アメリカの

負の側面を

リアルに描写しています

本作は

教祖のモデルとして

実在する初期サイエントロジーの創始者

L・ロン・ハバートによる

サイエントロジー協議本『ダイアネティックス』

をまんま参考にしているということで

全米公開時、問題にもなったそうですが

まあ

確かに題材こそ

新興宗教を扱っていて

その内情を少なからず描いてはいるものの

過度な解釈や批判を交えず

その是非に対する判断は

あくまで観る者に委ねるという

スタンスに徹しています

アンダーソンの特徴の一つですが

この監督は

どんな物事に対しても

善悪の価値基準では決して捉えないんですね

そもそも

この映画

ストーリー自体がよく見えません

というより

今いちストーリーのポイントをつかめません

その理由は明白

登場人物それぞれのキャラが立ち過ぎているのです

対照的な2人の主人公

陰湿で本能的

もがき苦しむ動物のようなフレディと

明朗闊達なカルト教団の教祖ランカスター

この2人のやりとり

特に劇中

「プロセシング」と呼ばれる

過去に遡っていく

カウンセリングのシーン

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おそらくかなり即興が入っているであろう

2人の緊張感あふれるセッションは必見です

主人公フレディを演じるのが

ホアキン・フェニックス

↓↓↓

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戦争体験のトラウマが

精神や肉体に影響を及ぼし

結果アル中に

歪んだ表情といびつな猫背

先日の本ブログでも取り上げた

ベーコンの絵画のごとき身体表現

観ていて

なんとも

危なっかしく不安定

いつ暴発するかわからない

衝動的な挙動

ホアキンは今回絞りに絞った体で

まさに獣のような演技を披露します

う~ん

圧巻の一言です

対するマスターことランカスターを演じるのが

『カポーティ』でアカデミー賞を受賞した

フィリップ・シーモア・ホフマン

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この人はいつもすごいですね

どんな役をやっても

そこに人間があぶり出されます

今回も

その巨体を活かして

エネルギーの塊のような

カリスマ教祖ぶりを発揮

それでいて弱さも随所に垣間見せます

そこにさらに

教祖ランカスターを影で支える

というか

実際操っている

妻のペギーも加わって

演じるのはエイミー・アダムス

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まさに3者入り乱れての演技バトル

強烈なキャラクターたちによって

織りなされる予測不能の展開

じっと据えられたカメラが

役者たちの危険な演技の行方を

黙って見守ります

う~ん

もう片時も目が離せません

主人公フレディが

戦争でどんな体験をしたのか

トラウマとなる決定的な場面は描かれず

戦争末期に海辺で戯れる兵士たちの中で

一風変わった

しかし明らかな狂気を

垣間見せるフレディの姿から

そのただならぬ過去が自ずと推察できます

この冒頭のシーンからもう

掴みOKです

カメラは

昔の映画でよく使用された

いまどき珍しい65ミリフィルムで撮影

鮮烈な海の蒼さと

照りつける太陽の下

浜辺で無邪気に戯れる男たちの

この神話的ともいえる空気感

全編を通して

194050年代アメリカの

クラシカルな雰囲気が

フィルムに克明に焼きつけられています

また

アップを多用した密室での白熱ぶりと

真っ青な海や

果てしなく広がる荒野など

内と外の鮮やかな対比

大胆な構図や奥行きのある映像

唐突にかぶる壮麗な音楽

う~ん

荒々しさと繊細さが見事に同居した

この堂々たる演出ぶり

まあ正直

才気ほとばしるも

あざとさを否めず

といった感は強いのですが

僕と同じ歳の

この監督の

ずば抜けた天才ぶりとその可能性に

一体どんな異論を挟む余地がありましょうか

しっかし

アンダーソンの映画は

いつも一筋縄ではいきません

起承転結が明確な

単純な物語では決してなく

観終わってみると一体何が言いたかったのか

容易に判別不能

本作は

僕自身

まだまだわからない部分だらけです

映画そのものの解釈が

収束していくどころか

むしろ日を追って

拡散していくのを認めます

いやはや

こういう映画を

僕は傑作と呼びたいと思います

ちなみに

アンダーソン監督の前作もオススメ

ダニエル・デイ=ルイスが

どす黒い石油王を怪演した

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007)

↓↓↓

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