創る側と観る側

つくづく

往々にして

アーティストよりも評論家

創る側よりも観る側の方が

見識や感性の面で上回っているなぁ

と感じることが多い今日この頃です

う~ん

明らかに観る方のレベルに

創り手が追いついていないという

逆転現象が多々見受けられます

映画などにおいても

クリエイターの方は

そんな深い意図で撮っていないのに

観る方は

それこそ縦横無尽に

あらゆる角度から深読みするわけです

まあ創り手は

基本的に1人であるのに対し

観る方は

極端に言えば

自分以外の全員が対象ですからね

よくよく

ものを創るということは

それだけ大変なリスクが伴いますね

文字通り

周知に晒されるわけで

あらゆる角度から

批評の雨あられが飛んでくることを

あらかじめ覚悟しとかないといけませんし

いちいち気にしてたら

どだい神経が持ちませんよね

それを踏まえてもなお

創り手、表現者たりうる人たちとは

いわば創作表現に対する

揺るぎない欲求と

明確なビジョンを

内に秘めている

そんなある種

特別な人たちなのかなと僕は思います

なので近年のITの普及

SNSなど個人ツールの発展によって

誰彼構わず

なんらか表現できるようになった今の時代は

う~ん

僕はそれはそれで

ちょっとどうかなと思いますね

正直

作品と呼ぶには

観るに堪えないものが多過ぎる

それを自己表現だ

アーティストだ

と自称するのは勝手ですが

実際のところ

作品そのもののレベルが

往々にして

あまりにも低過ぎる

ホントこれは困ったものですね

まあでも

量は質を凌駕するといいますからね

クズのような膨大な作品群の中か

ダイヤモンドの原石が見つかるかもしれませんし

どんどんとこなれていく中で

自然と目が養われ

技術が磨かれて

やがて全体のレベルが向上していく可能性を

大いに秘めていますからね

なんとも

一概に否定できない話ではありますね

と、話を戻しまして

クリエイターは饒舌になったら負けますね

自らは口を閉ざし

あるいはオブラートに包んだ物言いに終始し

あくまで作品が物語るというふうに

どこかミステリアスな要素を含ませないと

評論家勢に到底太刀打ちができません

とはいえ

むしろ創り手が気づいてもいなかった視点に

評論家が逆に気づかせてあげる

という側面も多々あるように思います

創り手が無意識に抱いていた考えの視覚化

思ってもみなかった視点からの解釈

それによるクリエイターと評論家による

思わぬ相乗効果の創出

まあそうは言っても

創り手にとっては

耳の痛い話に違いないでしょうがね

つくづく

というわけで

おまけ

これはある意味

創作と批評の融合ですね

フランスの巨匠、ジャン=リュック・ゴダール(1930-)

1988年から1998年にかけて製作した

8章からなる

3時間48分のドキュメンタリー

その名もズバリ

『映画史』

↓↓↓

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100年余りに及ぶ映画の歴史の集大成

世界史上に輝く名画と

ゴダール自身が監督した作品の

引用、ナレーションのみならず

膨大な数の文学、哲学、絵画、音楽を

洪水のように氾濫させた

壮大なるモンタージュ

↓↓↓

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