本質的な区分

う〜ん

つくづく

世の中には

プレイヤーとマネージャーの

2種類しかいなく

人は

本質的に

そのどちらかなんだなぁ

と感じる今日この頃です

例えば

選手と監督

アクターとディレクター

人は

どっちが得意か?

どっちが好きか?

どっちが性に合っているか?

まあ

いろいろありますね

よく

名選手、名監督はいないといいますが

果たして本当でしょうか?

って

別に何がなんでも

どっちかに絞れと

言っているのではありません

ある意味

プレイングマネージャーが

当たり前になってきている昨今

大なり小なり

どっちもこなすのが実情

そう悠長なことを

言っていられる時代じゃないですよね

でも

本質的には

最後の最後には

人はどちらかに

区分されるのではないでしょうか

って

それでもその両方を担う

求められる状況にあるのは

思うに

それはたぶんに

なんらかの欲と

関係しているような気が

しなくもないですかね

例えば

監督兼主演作の多い

イーストウッドしかり

『許されざる者』(1992)

↓↓↓

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北野武しかり

HANA-BI(1998)

↓↓↓

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よくよく考えてみたら

演じる自分を

他ならぬ

自分自身が演出するわけですから

こりゃ相当

ある意味

ナルシストじゃないと

務まりませんよね

文字通り

自作自演ということで

よほど

自分以外には演じられない

他人には演じてほしくない

という心境でしょうか

まあ

その心中や

察するに余りありますが

それでも

しつこいようですが

本質的には

人はどっちかでしょうね

おっと

翻って

自分は

一体どっちなんだろう?

つくづく

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