意識と知覚

そこに意識を向けて目にする光景
と
不意に目に飛び込んでくる光景
つくづく
眼前に広がる光景は同じでも
それを見る側の
意識の持ちよう
観点
アンテナ
興味の度合いによっては
同じ景色が
まるで違って見えますね
あるいは
これは耳も同じで
能動的に意識して聴く音
と
受動的に耳に入ってくる音
とでは
同じ音でも
全然違って聞こえてきますよね
おや
日常の忙しない喧騒の中
遠い彼方の
どこからともなく
何やら
音が聞こえてきて…
ふと
見上げると
↓↓↓

おお
鳥の一団が群れをなして
大空を舞っていました
↓↓↓

うまく撮れなかったのですが
ひとつの塊を形成していましたね
↓↓↓

よくよく
これは
意識して見た光景や音なのか
期せずして目にした光景や音なのか
果たしてどっちでしょうか?
と
思うに
最初は
受動的に気づき
その後
能動的に見て聴いた
ということになりますかね
人間の知覚には
大まかに2つの働きがあります
①ボトムアップ(受動的な注意)
突然の音や動き、明るさの変化など
予期していない刺激に自然と注意が向くこと
鳥の羽ばたきや鳴き声、群れの動きは
まさにこれに当てはまりますね
②トップダウン(能動的な注意)
あれは何だろう?
と意識を向けて
目で追い、耳を澄ませること
上記の場合
僕が初めから鳥を探していたわけではなく
鳥の存在が僕の意識を呼び寄せた
要約すると
◎鳥の羽音や鳴き声が無意識に耳へ届く
↓
◎その音に反応して視線が向く
↓
◎鳥の群れを認識し、しばらく眺める
という流れでしょうか
って
そもそも
同じ場所にいた人全員が
この鳥の群れに気づくとは限りません
今回は
ちょっとボーッとしている僕がいて
どこかで音がして
何気なく空を見上げ
鳥の存在を意識しただけです
つまり
偶然目に入ったように見えても
その偶然を受け止める心のアンテナは
実際のところ
その人の意識や経験によって
形づくられているということ
あくまで
偶然が入口であり
意識がその偶然を
意味ある出来事(=体験)
へと変えたと言えましょうか
(ハァ?)
とまあ
そう考えますと
人は世界をそのまま見ているのではなく
自分の関心や価値観というフィルターを通して
世界を見ている
現実を捉えている
受動か能動か
どちらか一方ではなく
受動から能動へとスムーズにつながる
いわば意識と知覚の連携だった
と考えることができましょうか
というわけで
われながら
一体何の話?
ハハハ
暑くてすっかり
脳ミソがやられている今日この頃です










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