意識と身体

数日前に映画評をアップして以降

なんとなく

頭の中に

ある問いが

いつまでも残っていまして

その問いとは

意識と身体は

一体どっちが本当の自分なのか⁈

ということ

(はぁ)

意識するということは

少なからず自我があって

それを自覚しているということ

自分であるということを

わかっている状態

そうした心の働きを指すわけで

つまり

意識は心と

置き換えることができるかな

そう考えたとき

一体

(=意識)

身体って

どっちが本当の自分なのでしょうか⁈

う~む

何やら小難しい話になりそうですが

まあ

意識と身体はもちろん

切っても切り離せない関係で

どっちも自分であることに

違わないと思いますが

よくよく考えると

意識と身体って

完全に一致しているかというと

必ずしもそうじゃない場合もあって

むしろ乖離している時も多いような

意識していない時

あるいは

無意識の状態の時

そんな時の

自分て

一体

誰⁈

う~ん

意識していない

あるいは

無意識の状態の時って

どんな時かというと

例えば

お酒を飲み過ぎて記憶をなくした時

おっと

まあそれは置いといて

あるいは

睡眠時なんかそうですよね

うちのかみさんいわく

僕は寝てる時

しょっちゅう寝言を言っているそうでして

途中で目覚めて

ほんの一瞬

寝言を言った自分を自覚する時も

たまにあるのですが

多くの場合

朝起きてから

「昨日寝言言ってたよ」

かみさんに言われて

初めて気づく

まあ僕としては

そう言われれば

認めるほかないのですが

正直

まったく覚えていないんだから

いまいち腑に落ちない部分も

なきにしもあらず

別に開き直るつもりはないのですが

よくよく考えてみると

上述したように

無意識の状態の僕が言ったことなので

それ

本当に僕なのかと言われれば

僕であって

僕ではない

かも

(って

お前だろっ)

ハハハ

かみさんに殴られそうですが

まあ

それはさておいて

例えば『ターミネーター』じゃないですが

自分が

あたかもサイボーグのような機械の身体だと

仮定してみたとします

この身体は

いわば作り物、借り物の身体なわけで

ターミネーターみたいに

プログラムが起動したことによって

内蔵されている自我が立ち上がる

といったイメージ

サイボーグの場合は

肉体の痛みも

感情もありませんが

もしも

肉体の痛みや感情が

サイボーグである僕に備わっていたとすれば

う~ん

それって

つまり

人間のことを指すんじゃないでしょうか

つくづく

自分という存在は

自分の身体である

と同時に

一方で

自分の身体ではない

そんな側面もたぶんにあるのではないか

どういうことかと言うと

人間は

人類が誕生してから

どんどん進化をしていって

そうして今がある

大昔

僕らの祖先は

猿だったわけで

その猿が

4足から2足歩行になって

尻尾がなくなって

物を使うようになって

喋るようになって

そうやって

いわば地球環境に適応していきながら

諸々の進化発展(退化)

遂げていった結果として

今の身体機能が備わった

人間の形があるわけですね

つまり

僕らのこの肉体は

人類の進化発展の

象徴であり

遺産である

悠久の歴史を経たDNA

この身体の中には

脈々と流れている

そう考えることが

できるのではないでしょうか

あるいは

もっと身近なところで言うと

自分の家系の血やDNA

僕のこの身体に

先祖代々受け継がれている

そういった感覚って

僕は少なからずあるのかなと

感じますね

つまりは

自分の身体であって

自分の身体ではない

もっと正確に言えば

自分だけの身体ではない

ということ

ちょっと大げさな言い方ですが

まさに

生身のターミネーター

的な感覚ですかね

というわけで

いやあ

なんだか

妙な話になっちゃいましたね

おまけ

↓↓↓

blog_import_6442b4b03f974.jpg

それはそうと

液体金属のターミネーターも怖かったなぁ

↓↓↓

blog_import_6442b4b2e0e4e.jpg

関連記事

  1. この記事へのコメントはありません。