映画『麦秋』

1951年製作の日本映画
『麦秋』
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監督はご存じ
日本が世界に誇る巨匠
小津安二郎(1903-1963)
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本作は彼の代表作の一本で
原節子を主演にした
『晩春』(1949)
『東京物語』(1953)
と並ぶ
「紀子三部作」の2作目にあたります
う〜ん
個人的には
小津作品の中では
これが一番好きかなぁ
…
戦後の北鎌倉
28歳の独身女性・紀子(原節子)は
両親、兄夫婦、甥たちと穏やかに暮らしている
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家族や親族は「そろそろ結婚を」と
紀子のことを気にかけ
ある条件の良い縁談を進めようとしていた
しかし紀子はその縁談を断り
自らの意思で
子持ちの男性との結婚を決めてしまう
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このことが
家族に大きな驚きと波紋をもたらすが
やがて家族はそれを受け入れ
それぞれが新しい人生を踏み出していく
そうして
紀子の結婚をきっかけに
長年続いた家族の形も
変化を余儀なくされていく…
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小津の映画で
たびたび取り上げられる
家族のあり方
そこで
結婚や転居
老いや死など
様々なテーマが描かれるのですが
つくづく
家族の形は常に移り変わっていく
というテーマが
変奏を繰り返しながら映し出されていきます
本作においても
冒頭で家族が
当たり前のように一緒に暮らしています
しかしサザエさんのように
いつまでも続くかと思われる
この家族という共同体は
紀子の結婚を機に
少しずつ姿を変えていくのです
紀子の結婚は祝福すべきことですが
家族にとっては
一つの時代の終わりでもあるのです
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タイトルの『麦秋』は
実りを迎えた成熟のとき
つまり結婚適齢期
(…本作においては婚期を逃しかけている)
を迎えている紀子のことを指しています
と同時に
小津監督は本作について
「ストーリーよりも輪廻とか無常を描きたいと思った」
と語っているように
麦が実り刈り取られていくように
結婚や別れという
家族のあり様を通した
人生そのものの移り変わりを
象徴的に表しているといえましょうか
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ふぅ
それにしても
何度観ても
どの作品を観ても
小津の演出は独特です
ローアングルで捉えた
家の中の構図
人物たちの配置
しばしば真正面による人物のバストショット
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規則正しいテンポで積み重ねられ
反復されるショット
一定のリズムで繰り返されるセリフ回し
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(原節子と淡島千景との抜群のコンビネーションぶり)
どこかバレエを見ているような
物腰、所作、立ち居振る舞いの
様式的な動き
リズミカルなやりとり
独特の間
忙しない日常のはずが
しかし
映画においては
あまりに淡々としていて
不自然ですらあります
現実は決してこうではない
…のですが
う〜ん
しかし
なんというのでしょうか
観ていくうちに
なぜか
不自然が自然に見えてくる
決められた配置、動き、セリフ回しが
滑らかで一定のテンポで
スムーズに流れていく
この感じが
実際の生活
いわば現実味と
かけ離れているようで
いや
そんなことはなく
このなんとも
様式的で
ミニマルな身ぶりこそが
その実
人間の本質的な姿
そのものに思えてくるのです
いやあ
この完璧に統制された
作為的なアプローチこそが
映画の映画たる所以で
小津芸術の真髄ともいえましょうか
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と
さらには
反復が繰り返される中で
ふと
感情がこぼれる瞬間があります
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紀子の
結婚を決める時の
あの直感的で唐突な感じ
一見違和感のようで
しかしあのニュアンスは
なんとも
リアルな空気感
何か強い意志を感じさせます
また
終盤で
紀子が結婚を決めた本音を
義姉にコソッと話すあたり
なるほど納得で
こうした感情の機微が
時折垣間見えて
面白いですね
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とまあ
原節子を中心に
今回は兄役の笠智衆や
美人揃いの女優たちなど
もう安定の出演陣が最高ですね
というわけで
『麦秋』
何を今更って感じですが
なんだか
自分にも当てはまるなぁ
人生のあるひとコマに
つい思いを巡らせてしまったりして…
つくづく
静かな映画ながら
様々な去来する感情に
思わず心動かされ
しみじみとした感慨に
ひとり耽ることになる
そんな良質な映画
いやあ
あらためて
巨匠、小津による
日本映画屈指の名作
必見です
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