映画『ファウスト』
2011年製作のロシア映画
『ファウスト』
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言わずと知れたドイツの文豪ゲーテの古典を
もはや巨匠の域に達したロシアの異才
アレクサンドル・ソクーロフ(1951-)が映像化
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「映画は観客を必要としていない
観客が映画を必要としているのだ」
2011年ベネチア国際映画祭で
『ファウスト』がグランプリの金獅子賞を授賞した際に
ソクーロフが述べた言葉です
商業主義の枠に収まらない
自由で難解な作風で知られるアート系の雄らしい
毒気のある一言ですね
本作は19世紀のドイツを舞台に
あらゆる学問を修得したファウスト博士が
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美少女マルガレーテに心を奪われ
高利貸しに魂を売るに至る悲劇を
大胆な解釈に基づき幻想的に描いています
と
“大胆”というところがミソでして
冒頭、人間の魂を探そうと死体を解剖し
臓物を取り出すファウストを捉えた
悪趣味極まりない
ショッキングなシーンから始まって
もうソクーロフ節炸裂です
「魂が空虚だと生きがいが得られないんだ
喜びも憎しみも哀れみも感じない」
「善い人間とは
暗い衝動に動かされようとも
正しい道を知っている人間だ
“耐えろ しのげ 我慢しろ“
永遠に繰り返される歌だ
ずっと続く
永遠に続く
繰り返されるのだ
永遠の歌…」
現状を嘆き
自問自答を繰り返すファウストは
程なくして悪魔と噂される
異形の高利貸マウリツィウスを訪ねます
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「この秤で金を量るのかな」
「いえ、魂を量ります」
「魂は重いか」
「いえ、硬貨より軽いです。大抵はね」
そして金は貸せぬが
別の形でなら力を貸そうと
マウリツィウスはファウストを連れて
深い森に囲まれた街へと繰り出し
猥雑で喧騒に満ちた
市井の中へと入っていきます…
街の人々の表情から見え隠れする
下卑で狡猾な本音
グロテスクなまでの欲望の発露
映画は
ドイツの深遠な森や
中世の厳かな建物が並ぶ
美しい街並みを背景に
まさに美と醜が混然一体となった
ある種、異様な世界観を提示します
とりわけ女性専用の大衆浴場のシーンが圧巻です
入浴したり洗濯をしたりして
楽しく談笑する女性たちの日常の光景が
淡いグラデーションがかった柔和な映像の中に溶け合い
まるで天国にいるような神秘の世界を創出
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いやあ
中世のヨーロッパ絵画の中に入り込んだような
目を見張るばかりの映像美です
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マウリツィウスに連れられて
この女の園に入り込んだファウストは
そこでひとりの少女マルガレーテの純真な佇まいに
たちまち心奪われます
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とまあ
本作はゲーテ原作の
まこと高尚なようでありながら
その実は
中年男のファウストが
親子ほどに歳の離れた
無垢な少女マルガレーテに恋をし
なんとかものにしようと
高利貸しに頼み込んで魂を売るお話でして
早い話が
よくよく俗の極みのような物語で
そうした人間の持ついやらしさ
いかがわしくも野蛮な人間の営みを
しかしソクーロフは
どこまでも上品で重厚で格調高いドラマに仕上げてみせます
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透明感に溢れ
時折見せる妖艶さが魅力的なマルガレーテに
いい歳してのめり込むファウストが
いやはや
どうにも痛々しい
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と唐突に
水の中に落ちていくファウストとマルガレーテを捉えた
映像のトーンが変節し
時空の概念がねじ曲げられたような
異化作用を起こします
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やがて黄金色に輝く背景の中で
特殊レンズ(⁈)で接写された
顔の周辺がにわかに膨張し
奇妙で不気味で
しかし夢の中にいるような浮遊感に包まれ
この世のものとは思えない映像が現出
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なんとも魅惑的で
惹き込まれる感覚を覚えます
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映像派で知られるソクーロフの面目躍如ですね
と
結局のところ
マルガレーテの心の内や如何に⁈
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果たして魂を打ったファウストは
生の喜びを実感することができたのか⁈
そして虚無的な結末
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映画は全編
美と醜のイメージによる
鮮烈なコントラストで散りばめながら
ファウストが至る剥き出しの姿を通して
観る者に生の意味を問いかけます
というわけで
ソクーロフが創造した
なんとまあ
恐ろしくも濃密な無二の世界観でしょうか
内心あまりオススメはできませんが
いやあ
本作はまぎれもない傑作です
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