映画『フェイシズ』
クローズアップで捉えた人物たちの
顔、顔、顔…
息づかい、困惑、苦悩
炙り出される感情
剥き出しの生
ありのままの姿
そこに
えも言われぬ美しさを見ます
1968年製作のアメリカ映画
『フェイシズ』
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監督は俳優でもある鬼才
ジョン・カサヴェテス(1929~1989)
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本作は
カサヴェテス本人の自宅を抵当に入れ
そこを映画の舞台にして仲間たちと撮影
スタッフは無償奉仕
自らも俳優業などで稼いだ資金を
すべて撮影につぎ込んで完成させたという
まさに伝説の映画です
本作をもって
「インディペンデント映画」
というジャンルが確立したと言われています
ちなみにカサヴェテスの妻は
本作の高級娼婦役でもひときわ輝きを放つ名女優
ジーナ・ローランズ(1930-)
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二人は映画作りの同志として
何よりおしどり夫婦として知られました
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と
倦怠期を迎えた
ある中年実業家の夫婦が辿る精神的な危機
その破綻の様
映画は
彼らが過ごす1日半を
対象に肉薄した接写による眼差しで
象徴的に切り取ってみせます
とまあ
本作は全編にわたって
いい歳した大人たちが酒に酔って
延々馬鹿騒ぎを繰り広げる話でして…
が
しかし
驚くべきは
映し出されたフィルムの
この純度です
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手持ちカメラの多用によるブレた映像
家の中のライトの光が
人物たちの顔にまぶしく注がれ
聖性すら漂う
自由でエモーショナルな空間が創出されます
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これはひとえに
信頼する仲間たちによって醸成された
現場の空気感のなせるわざで
高い熱量の産物です
それにしても皆よく笑う
笑い声も特徴があっていいんですよね
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しかし陽気な中にも
時折、そこに感情のひだが垣間見えます
中年夫婦の悲哀
その切ないまでに分かり合えない
男と女のリアル
紛れもなく本作は60年代アメリカの
ある中流家庭の克明な記録ですね
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と
画面を横溢するほとばしる感情
映し出される豊かで濃密なひととき
同じ純度の高さでも
こうした映像は
たとえばサム・ペキンパーのそれともまた異なる
ある種、インディペンデントな
つまりはアマチュア的な荒削りさを持っていて
そのどこまでもピュアな空気感が
フィルムに克明に焼きつけられています
こうした要素が生まれる最たる要因は
カサヴェテスの持ち味の一つである
即興の演出にありましょうか
彼のフィルムには
おそらくは出たとこ勝負的な
生の味がある
これはジャズの演奏の
スリリングなセッションに限りなく近く
ハラハラとした緊張感と共に
ひとりひとりの目まぐるしく変わる表情を通して
激しく揺れる感情の起伏
背後に見え隠れする本音を垣間見
同時に
役者個人のパーソナリティすらも
否応なくさらけ出される
そんな彼らの
いわば本質を容赦なく捉えて離さない
一瞬のひらめきと高い集中力に基づいた
切れ味鋭い演出が
いやあ
カサヴェテスの真骨頂です
このアプローチは演劇的ではあるのですが
よりリアリティがあって
役者たちは完全に役を生きている
映し出される映像も
ほぼドキュメンタリーを観ているような
迫真のタッチです
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睡眠薬を服用し自殺を図った妻と
彼女を助けるべくあらゆる手を尽くすゆきずりの若者との
このどこまでもリアルなやりとり
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生々しい息づかい
生死を彷徨った末に生還した妻が見せる
苦悶の表情
タバコの煙に包まれた
神々しいまでの二人の風情
観ていて心揺さぶられずにはいられません
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それはそうと本作は
タイトルが“フェイシズ”だけあって
何せ顔のアップが多用され
最初はブレて揺れ動く映像に戸惑いを覚えますが
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“ありのままを生きる”役者たちの
生の姿を観ているうちに
そこに確かに息づく
神聖なるインディーの精神を
観ている側も自ずと体感できて
次第に
ピンがきていないザラついた映像それ自体も
不思議と味わい深く感じられ
ああ
今まさに
稀有なアートフィルムを目の当たりにしているんだ
という厳かなまでの心持ちと共に
しみじみと画面に見入る僕がいるんですよね
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いやあ
フィルムに封じ込められた世界は
まぎれもない真実の姿
というわけで
本作『フェイシズ』は
カサヴェテスの想いと執念が結実した
まさに偉大なる映画です
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