映画『異端の鳥』

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2019年製作
チェコ、ウクライナ合作の
『異端の鳥』
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監督・脚本は
チェコのヴァーツラフ・マルホウル(1960-)
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原作は
ポーランドの作家イェジー・コシンスキが
1965年に発表した同名小説で
母国ポーランドを含む社会主義圏で発禁となったいわく付きの本書を
約半世紀後にマルホウル監督が
実に11年の歳月をかけて映画化にこぎつけます
う〜ん
169分という長尺
35mmのワイドスクリーンで映し出される
モノクロの深い陰影に富んだ圧倒的な映像美と
人間の蛮行の数々を捉えた凄惨な描写
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との
このあまりに激しいギャップ
つくづく
僕らは目の前に映し出される一部始終を
ただ黙って観続けるほかありません
ナチスのホロコーストから逃れるために
田舎に疎開してきたユダヤ人の少年
預かり先である1人暮らしの叔母が病死し
家も焼失したことから
彼はたったひとり
あてどもない放浪の旅を余儀なくされます
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しかし地元民と違う容姿・風貌のユダヤ人ゆえに
少年は行く先々で異物とみなされ
執拗なまでの差別
理不尽な暴力、虐待を受けます
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舞台は
第二次世界大戦の只中のヨーロッパの
とある村
明確にどの国と特定されていませんが
東欧の共産圏のどこかといったところ
特定していない分
民族や国家の特性、地域性、専門性が
意図的に除かれ
あくまで戦時下という極限状況の中
人々の間に蔓延する
不寛容
猜疑心
他者排斥の論理
そんな人間の根源的な本性が
全編を貫くリアリズムの極致の中で炙り出され
それによる普遍性や
ある種の観念性が
このフィルムには内在しています
う〜ん
モノクロでとらえた
静謐で美しい田園風景の中で繰り広げられる
残酷極まりない行為の数々
不吉な、悪魔の子だとして
皆から村八分にされる少年の行方…
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って
いくらなんでも
この想像を絶する展開は一体…
しっかし
なんとまあ
容赦のない
罰ゲームのオンパレードでしょうか
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そんな苦難の道のりの中で
少年は
声をなくし
自分の名前を忘れ
次第に純粋さが失われて
そして
したたかに生き延びる術を身につけ
大人になっていきます…
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と
本作の原題『The Painted Bird』にちなむ
象徴的なシーン
劇中、少年が出会った鳥売りの男が
一羽の小鳥にペンキを塗って空に放ちます
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すると小鳥は
上空を舞っていた鳥の群れに合流しようとするも
色が違うゆえに
いわば“異端の鳥”とみなされて
途端につまはじきにされ
やがて仲間の鳥たちから攻撃されて
無惨に殺されて落下してしまうのです…
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とまあ
全編にみなぎる負の空気感
ただもうひたすらに
中世の魔女狩りよろしく
異端の排除が横行する村
これは人々の生活の端々に根づく信仰心の
ある種の反映で
信仰の歪な表れとして
異端を斥ける意識が
根深く浸透しているようです
でももしかしたら
それは戦争という歪んだ状況の産物なのかもしれませんが…
絶望の淵を味わう人々の日常
それが本作では
往々にして
独特の、ショッキングな表現で描写されます
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少年役のペトル・コトラール君が
とにかく素晴らしく
真摯で強い眼差しがひときわ印象的ですね
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また脇を固める名優たちも
忘れられない演技を披露し
皆、独特の存在感を発揮しています
おっと
眼光鋭いウド・キアの暴挙に
そのリアルな様に
ちょっと身震い…
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少年の境遇を気にかけ助けてあげるも
やがて病に倒れる神父を好演したのは
ご存じ
ハーヴェイ・カイテル
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隠れた幼児性愛者ぶりがひたすら不気味な
ジュリアン・サンズ
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“目には目を”で
生き抜くことを身をもって教える
ロシア軍狙撃兵を演じた
バリー・ペッパー
諦観をにじませた独特の風情をたたえています
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というわけで
戦争の欺瞞
人間の業
醜さ、愚かさ、哀しさを
一身に背負うひとりの少年が辿る
受難の遍歴
つくづく
『異端の鳥』は
マルホウル監督の執念が
衝撃のビジュアルをもって結実した叙事詩で
いやあ
恐るべき怪作です
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