映画『山猫』

引き続き
ヴィスコンティ話ですが
今回は
一本の映画に絞りたいと思います
前回ご紹介した通り
ネオリアリズムの洗礼を受け
マルキズムに傾倒したヴィスコンティでしたが
体内に流れる血に目覚めるのに
そう時間はかかりませんでした
いくつかの作品を手がけた後
次第に自身のバックボーンである
貴族の世界を
映画で表現し始めることになります
それが最も顕著に表れた最初の作品が
今回ご紹介の映画
1963年製作
イタリア・フランス合作の大作
『山猫』です
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…
1860年春のイタリア
貴族の支配からの解放を目指す
ガリバルディ率いる赤シャツ隊による統一運動の波は
ここシチリア島にも押し寄せていた
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そのシチリアを13世紀から統治してきたのは
山猫の紋章を持つ名門貴族サリーナ公爵家だった
当主のファブリツィオは
貴族社会の終焉を感じながらも
これまで通り優雅に振る舞っていた
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そんなファブリツィオが
以前から目をかけていた甥のタンクレディが
赤シャツを身にまとった革命軍の闘士となって
公爵の前に姿を現す
時代の波にいち早く乗る彼は
ある日
新興ブルジョワジーの娘アンジェリカと恋に落ちる
そうしてファブリツィオは2人の結婚の仲人を引き受ける…
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主演のバート・ランカスターが
ヴィスコンティの分身ともいえる貴族の公爵を
高貴な威厳をたたえて熱演
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さらには
時代の潮目を読むことに明け暮れるタンクレディの
身のこなしの軽さを体現する
アラン・ドロンと
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貴族にかわって台頭する新興勢力である
資産家の娘アンジェリカを
自由奔放に演じた
クラウディア・カルディナーレ
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いやあ
この2人の
なんとまあ
美しく魅力的なことでしょうか
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貴族社会の衰退と新時代の到来を象徴する
絢爛豪華な晩餐会のシーン
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厳粛な場にもかかわらず
奇矯な笑い声を挙げるアンジェリカの
無邪気な明るさが
時代の移り変わりを如実に物語ります
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何よりヴィスコンティは
この映画で
舞踏会に象徴される貴族社会を
リアリズムで描ききります
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ファブリツィオとアンジェリカによる
優雅なダンスシーン
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あらためて
映画のセットに用いられる
家具や調度品、衣装類など
全て本物を取り揃え
貴族が生きた時代を
完璧な時代考証に基づいて再現しつつ
やがて来るべき貴族社会の終焉の時を
映画は静かに
それでいて
冷厳な眼差しで見つめ続けます
ヴィスコンティは貴族であることに
自身のアイデンティティーを見出し
それに誇りとロマンを抱き
創作の原点としていましたが
その一方で
そうした貴族階級が
もはや過去の産物であることを
誰よりも痛切に感じていました
そしてこれがまぎれもない現実である以上
貴族という身分に
いつまでも安穏としているわけにはいかない
ヴィスコンティは
ネオリアリズムで培った現実に対する鋭い眼を
今度は己自身に向けたのです
彼は貴族の名を冠した冷徹なリアリストでした
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ヴィスコンティは
この避けて通れない現実を前にして
自分が何をなすべきなのか
自問自答を繰り返します
そうして自身の拠り所である貴族=旧世代が
新世代に取って代わる現実を真正面から見据え
それ自体をして
映画の題材に転化せしめたのです
彼が単なる耽美派でない所以は
まさにこの点にありましょう
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ここに至ってヴィスコンティは
古い秩序
つまりは
自身の出自である貴族階級に象徴される
滅びゆく者への耽美的なロマンチシズムと
現実を厳しく見据える怒涛のリアリズムの
両極を内包した
独自の世界観を構築したのです
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つくづく
なんてすごい映画でしょうか
いやあ
もはや文化遺産の風格ですね
というわけで
代表作に数えられる1本
『山猫』を通して
ヴィスコンティ芸術の一端に触れた次第です
まだ続きます










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