映画『アニー・ホール』

1977年製作のアメリカ映画
『アニー・ホール』
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才人、ウディ・アレン(1935-)が
監督・脚本・主演を務め
ダイアン・キートンが
タイトルロールのヒロインを演じた
ご存じ
ラブコメディの傑作です
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…
大都会ニューヨーク
アルヴィー・シンガーは
恋人だったアニー・ホールとの
別れを振り返りながら
「なぜ自分たちはうまくいかなかったのか」
を回想する…
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ある日
しがないコメディアンのアルヴィーは
歌手志望のアニーと出会い
2人はぎこちなくも強く惹かれ合う
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そうして程なくして
一緒に暮らし始める
しかし当初は
互いを補い合っていたものの
時が経つにつれて
相手の嫌な部分ばかりが目につくようになり
2人の溝は深まるばかり
そんなある日
アニーは大物音楽プロデューサーのトニーから
カリフォルニア行きを勧められ
彼女はニューヨークを後にするが…
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大都会を生きる男と女の
本音と建前
相見える互いの価値観と複雑な心情
愛し合うも
やがてすれ違う様を
才気溢れる手法を駆使して
コメディタッチでリアルに映し出します
う〜ん
神経質で皮肉屋
自意識過剰でコンプレックスの塊
冴えない風貌のアルヴィーですが
これがなぜか女性にモテる
よくよく
その要因は
アルヴィーの
男性優位な志向によらない
知性やユーモアが
70年代のウーマン・リブの風潮に
呼応しているが故でしょうか
女性が
男性の添え物としての従属した存在ではなく
ありのままの
対等な関係であるという
そうした男女の
当時としては新しいあり方を
本作は
いみじくも提示しています
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ダイアン・キートン演じるアニーは
自然体で自由な感性を持つ女性で
可愛いのに決して男性に媚びず
どこまでも自分らしく生きています
60年代以前の
セクシーで
グラマラスで
男性に愛される存在としての女性という
従来のあり方から
軽やかに脱却して
あるときは
ラルフ・ローレンによる
メンズ・ファッションに身を包んだ
中性的なスタイルをもって
自らを表現します
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つまり
本作における
アルヴィーとアニーは
“男性らしさ”
“女性らしさ”
という性別境界の曖昧さを
身をもって体現しているのです
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そんな
世の体裁に縛られることのない
自由で気ままな空気が
ニューヨークのムードと相まって
まことリアルに映し出されていて
いやあ
こうした点が
本作最大の見どころといえましょうか
長回しによる
有名なロブスターのシーン
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と
しかし
自由であること
対等であること
…が
必ずしも良好な関係を築くとは限らない
本作においては
互いに好き合っているのに関係が続かない
という男女の現実が描かれます
アルヴィーはアニーを愛しています
しかし次第に
不安や嫉妬、支配欲に駆られ
さらには価値観の違いが
自由なはずの2人の関係を
ギクシャクさせていくのです
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と
本作の面白いところは
そうした2人の関係や内実
アルヴィーの記憶や印象、妄想などが
いろんな形で表現されている点です
時系列が飛んだり
現実と妄想が混ざったり
アニメが挿入されたり
アルヴィーが唐突に観客に話しかけたり
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さらには
喋っている会話と内心の本音が
同時に表示されたり…
“人は本心をそのまま言わない”
という人間関係の本質
たぶんに複雑な心理が
コミカルに描かれていたりします
とまあ
終盤に至って
2人は別れるわけですが
恋愛の儚さと
それでも人は愛を求めるという
どこか切実な思いを秘めて
映画は終わりを告げます
ふぅ
なんとまあ
アレンの
遊び心と好奇心に満ちた
切なくも豊穣な恋愛ドラマでしょうか
とにかく
ダイアン・キートンが魅力的で
新しい女性像を見事に体現していますね
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また本作には
クリストファー・ウォーケンやジェフ・ゴールドブラム、シガニー・ウィーバーなど
若き日の名優たちが
ちょいちょい出ていまして
特筆すべきは
作家トルーマン・カポーティ本人が
カメオ出演していたりします(!)
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またアレンが心酔する
フェリーニとベルイマンも
本作の中で
さりげなく盛り込まれていて面白いですね
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というわけで
『アニー・ホール』
いやあ
なんて素敵な映画でしょうか
様々なウィッドとユーモア、示唆に富んだ
これはまぎれもない傑作
今更ながら
必見です
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