映画『憎しみ』

1995年製作のフランス映画
『憎しみ』
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監督・脚本・編集を手がけるのは
俳優としても活躍する
マチュー・カソヴィッツ(1967-)
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主演のひとりは
本作で一躍その名を知らしめた
個性派俳優のヴァンサン・カッセル
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…
パリ郊外の低所得者向け団地”バンリュー”
警察による若者への暴行事件をきっかけに
この一帯で暴動が起こり
若者のアブデルが重体に陥ってしまう
その翌日
ユダヤ系のヴィンス、アラブ系のサイード、黒人のユベールの
異なるルーツながら
同じ郊外で生きる仲間たち3人が
緊張状態の街をともにさまよい歩く
沸々とした憎しみをたたえながら…
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途中
暴動の最中に警官が落とした拳銃を
ヴィンスが拾ってしまう
彼は
「アブデルが死んだら、この銃で警官を撃ち殺す」
と息巻く…
映画は
“いつ誰が発砲するのか”
という決定的な局面を待ちながら
3人が過ごす24時間を
ドキュメント形式で追っていきます
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つくづく
劇中でユベールが語る
「憎しみは憎しみを呼ぶ」
というセリフが
本作のテーマとなりましょうか
つまり
監督のカソヴィッツは
若者の暴力性に焦点を当てつつ
その要因を
社会背景に見出しています
つまりは
取り巻く環境そのものが
彼らの中に自ずと
憎しみを増幅させている
と問いかけるのです
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あらためて
本作の秀逸な視点
それは
警察が悪い
あるいは
不良少年たちが悪い
という二項対立ではなく
もっと大きな社会システムの悪循環を
映し出している点にありましょうか
底辺の生活を強いられる若者たちが
素行の悪さも手伝って
社会から疎外され
自ずと彼らに怒りが生まれ
警察との対立が激しくなり
警察もさらに強硬になり
若者の怒りがさらに強くなる
そうして暴動が起こる
社会がさらに彼らを危険視する
結果
彼らは排除される…
という悪循環です
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これは
どこの国でも
いつの時代でも
起こりうる普遍的な話
映画は
郊外からパリ中心部へと移動しながら
3人が直面する
警察との衝突、差別、暴力
社会からの疎外感を
象徴的に映し出し
“憎しみ”が拡がっていく
構造的な負の連鎖を
ここパリの路上に見出すのです
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と
よくよく
いま世界中で懸案となっている移民問題
さらには
SNSなどで
対象を徹底的に叩く風潮
横行する排除の論理
そうした
現代社会における不寛容なあり様を
本作は如実に想起させ
製作から30年経った現代において
なおさら
喫緊で深刻な命題として
観る者に迫ってきます
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ふぅ
それにしても
モノクロで捉えた
若者たちのリアルな風情
画面全体を憎しみの感情が覆い
ヒリヒリとした緊張感が走ります
特には
ヴァンサン・カッセルの
狂気を孕んだムード
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いつ暴発するかわからない危うさを
終始たたえていて
出色ですね
と
気になる物語の行方は…⁈
ラストは
思いもよらない形で
唐突に閉じられます…
憎しみが憎しみを生む
不条理なまでの悲劇…
う〜ん
この生々しいまでの臨場感
カソヴィッツのフレキシブルな演出が光ります
というわけで
『憎しみ』
若者たちのリアルな日常
赤裸々な姿を通して
現代社会に根づく負の感情を
鮮やかに表出してみせた傑作
いやあ
今更ながら必見です
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