映画『スウィート・ムービー』
映画評
今回は振り切っちゃってますよ
ご紹介するのは、まさに正視に堪えないトラウマ必至の映画です
僕も今までいろんな国のいろんな映画を観てきましたが
マジでヤバい映画を挙げるとすれば
真っ先に思い浮かぶのが以下の映画たちですかね
まず何より、イタリアのパゾリーニによる悪名高き世紀の問題作
『ソドムの市』(1975)
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さらにアメリカのジョン・ウォーターズ監督による伝説のカルト映画
“エロ・グロ・ナンセンス”の極み
『ピンク・フラミンゴ』(1972)
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さらにさらに『エル・トポ』(1969)でカルトの祖と称された
チリのアレハンドロ・ホドロフスキーの衝撃作
『ホーリー・マウンテン』(1973)
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ハハハ
のっけから何なんだ、これは…
さあそして極め付け
今回ご紹介の映画です
1974年製作
旧ユーゴのベオグラード出身の鬼才
ドゥシャン・マカヴェイエフ (1932〜)監督の
『スウィート・ムービー』
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マカヴェイエフは主に60〜70年代に
明らかな政治的意図を持って
既成の常識や価値観の転覆を図るべく
映画を通して過激にアジテートし続けた問題児です
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この人の映画はヤバいです、ホント…
マカヴェイエフのテーマは自身も語るところの
“セクスポル”
これは“性(=SEX)と政治(=POLITICS)”を結合させた造語で
彼は倫理や道徳をあえて無視した
グロテスクな性描写などのショッキングな映像を通して
右も左も、洋の東西も問わず、公然と政治批判をやってのけたアナーキストで
前作『WR:オルガニズムの神秘』(1971)が
あまりにスキャンダラスな内容ゆえ故国ユーゴを追われ…
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(これもヤバい映画でした…)
その後フランスに渡って撮ったのが本作ですが
マカヴェイエフのフィルモグラフィーの中で
決定的に危険な
はからずも彼の代表作と相なった1本です
ということで『スウィート・ムービー』
ある二人の女性の“性”を巡るエピソードが
交互に描かれる構成のブラックコメディで
ストーリー自体はまあ支離滅裂ですね
では一体何がすごいかと言いますと
描かれているのは象徴主義的なメタファーを散りばめながら
これでもかというくらいの怒涛の粘着質モードによる
いわば欲望の解放です
そもそも2つのエピソードは
“資本主義”と
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“共産主義”の
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あからさまなメタファーでして
それぞれを公然と
それも目を覆いたくなるほどの露悪趣味で痛烈に皮肉っています
カール・マルクスの頭部を冠した不気味な「サバイバル号」
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本作は全編
『ソドムの市』に負けず劣らずの衝撃シーンのオンパレードですが
中でも最も凄まじいのが
“銀河”と呼ばれるコミューンの人たちによる
食事と嘔吐、排泄が渾然一体となった乱痴気騒ぎのシーンです
映画といえども明らかにこれは実際に行なわれている行為で
まぎれもないドキュメンタリーです
驚くべきことにこれらの蛮行を
彼らはそれこそ嬉々として行っているのです
一体全体どうなっているのやら?
頭がおかしくなっちゃっているのか?
ブラック・ユーモアなんてレベルではありません
観ているこっちは自ずと激しい不快感と嫌悪感に襲われ
ただもう言葉を失うだけです…
と
下劣で卑猥、シュールな映像が延々続く中
なんと
第二次大戦中にソ連軍がポーランド将校を大量虐殺した「カティンの森事件」の
遺体発掘の模様を映した当時のニュースフィルムが
唐突に挿入されます
白骨化した遺体の生々しいショットが次々映し出されます
にわかに生じる異化作用
それまでの放埓で自由極まりないおバカな行為の数々が
たちまち政治的な色を帯びてきます
本作は何より資本主義と共産主義のそれぞれのイデオロギーの中で
抑圧された人々のありのままの原初の姿
理性を取っ払ったところの欲望の解放を
余すことなく表現したところに焦点が絞られていますが
それにとどまらず
劇中、道徳的にもまずありえない凄惨なシーンの数々が執拗に描かれているあたり
やはりマカヴェイエフなりの政治への不信感
破壊的なまでのイデオロギー批判の
これ、まぎれもない表明に違いありませんね
他方、彼の映画には
実は眼を見張るほど美しく、また力強いショットが満載で
そもそもこの人は
映画作家としての稀有な才能、確かな手腕の持ち主なんですよね
というわけで
これぞ真にラディカルな映画
マカヴェイエフの真骨頂ここにあり
って
でもやっぱり観ない方がいいかな…
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