映画『ボヘミアン・ラプソディ』

昨年11月の公開以来

いまだ熱狂が続いていますね

先日ようやく観てきました

『ボヘミアン・ラプソディ』

↓↓↓

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いやあ

クイーンは僕も20代の頃によく聴いたなぁ

劇中、次々流れてくる楽曲に

強烈な懐かしさを覚えましたね

そしてやはり圧巻はラスト20分のライブシーン

↓↓↓

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本物のフレディの歌声を

俳優の演技に重ねた

いわゆる口パク演出ですが

まるで本当に歌っているかのような迫真力に満ち溢れ

その圧倒的な臨場感、高揚感も手伝って

ゾクゾクと鳥肌が立ち

思わず涙がこぼれちゃいました

この映画は映画館で観るに限りますね

とまあ、しかし

あらためて別の観点から

本作にはいろいろと感じるところも多かったですね

つくづく時代なんでしょうね

なんともマイノリティに対する描き方が

オープンになったなぁ

リードボーカルのフレディ・マーキュリーは

パキスタン系という出自と

バイセクシャルという自身のセクシュアリティに対する

世間の偏見と戦いながら

結果的にエイズを発症し

45歳の若さでこの世を去るわけですが

本作のようなメジャー作品で

そうした側面をおおっぴらに描くあたりに

時代の変化を感じつつ

しかし同時に違和感を禁じ得ない僕がいますかね

ここ近年の

LGBTを受容しようという社会的な風潮に

安易に乗っかった的な

ある種の浅はかさといいましょうかね

自分らしく生きればいい

というメッセージそれ自体が短絡的で

正直、僕には違和感でしたね

これは『グレイテスト・ショーマン』と

構図的にほぼ同じ

『エレファント・マン』の世界をメジャー映画として

それこそ明るくオープンに

堂々と描く

野暮

とでも言いましょうか

良し悪しではなく

これはセンスの問題かな

と『グレイテスト』も

この『ボヘミアン』も

なにはさておき音楽が最高なんだから

そんな理屈はどうでもいいじゃん

とは決してならない

もっと言えば

フレディの歌を

政治的なメッセージの伝播に利用してるんじゃないかと

そんないらぬ勘ぐりすら抱いてしまう僕がいます

まあ早い話が

トレンドに乗る的な傾向が個人的に好きじゃない

観ていてどうにも引っかかってならないんですよね

って

仮になんらか政治的な背景があったとしても

それは先人たちが

過去の数々の差別撤廃運動の中で獲得した権利であり

結果なので

それはそれで

よしとする面ももちろんあるでしょう

しかし本作のような

マイノリティに対するストレートな表現が

今後一般化されたとしたら

イコール、それが社会が一段成熟したと見るには

あまりに短絡的なような気がします

監督のブライアン・シンガーは

X-MEN』シリーズの監督として知られていますが

あれはまさに

『サイボーグ009』のアメコミ版で

ある意味

マイノリティの要素が

メタファーとして随所に込められていると言われています

つくづくそうした部分を直裁的に表現せず

暗にほのめかすにとどめる点がいいのであって

今回の『ボヘミアン』のような

マイノリティの側面に対するストレートな描写と

それを自身の音楽へとパワフルに結実させたという

ドラマティックな構成が

そもそも僕には

どうにもキナ臭く映るといいますか

何より表現として野暮かなと思っちゃうわけです

しかし逆にこの点こそが

ドラマに深みをもたらしたと

評価されているのも

また事実ですがね

そんなこんな

すっかり世の反感を買うような

否定的な書き方になってしまいましたが

決して一概に否定するつもりもな

クイーンの音楽はとにかく最高

それだけのためにも

本作は是非とも映画館で観るべし

って

もはや説得力なしだな

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