映画『八月のクリスマス』
1998年製作の韓国映画
『八月のクリスマス』
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監督はラブストーリーの名匠として名高い
ホ・ジノ(1963-)
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本作は
彼の記念すべき長編デビュー作となります
…
のどかな田舎町で
写真店を営む青年ジョンウォンは
不治の病を患っていて
自分の死期が近いことを悟っていた
そんな彼のお店に
ある暑い夏の日
駐車違反取締員のタリムが
現像を頼みに来店する
それから度々お店に顔を出すうちに
2人はおしゃべりを楽しんだりして
親しく接するようになり
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やがて互いに惹かれ合っていく…
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しかしジョンウォンはタリムに
病のことを打ち明けられないでいた
そんな中
タリムは異動することになり
ジョンウォンに伝えようと
写真店に行くが電気は消えていた
その頃、彼は病状が悪化し
緊急入院していた
そうとは知らないタリムは
何日も写真店を覗くが
ずっと閉まったまま…
しかたなく彼女は手紙を書いて
お店の入口に挟んでおく
…
物語は
2人が出会う8月の夏の盛りから始まって
雨模様の日
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秋日和の日
最後は雪の降る冬の季節
など
四季折々に合わせて
心通わせていく2人を
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何より
やがれ訪れる死を自覚し
そのことを静かに受け入れるジョンウォンの
どこまでも穏やかな日常を
セリフを極力配して
詩的に描写していきます
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ふと
観る側は
彼が不治の病で余命いくばくもない
という情報をあらかじめ知っていて
そのフィルターを通して
映画を観ているためか
ただ淡々と映し出される
何気ない彼の日常のすべてが
その些細なディテールのひとつひとつが
かけがえのない出来事として
観る者に迫ってきます
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つくづく
本作は
記憶や思い出が
キーワードとなっています
フィルムの写真がもたらす風情
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ゆったりとした時間の流れ
豊かなひととき
そもそも
インターネットもスマホもない時代
固定電話と手紙が連絡手段
それゆえのすれ違いが
物語の重要なポイントとなっています
って
よくよく
便利で忙しない現代にあって
なんだか
妙な懐かさを覚えますね
観ていて
今の時代は便利になった分
何か大切なものを
失ってしまったように感じます
お
扇風機の味わい
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ジョンウォンとタリムの
それぞれの人生における一断面
タリムにとっては
思春期から大人の女性へと至る時期
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そしてジョンウォンにとっては
人生最期のとき…
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2人の人生の思いがけぬ交差
鮮やかに切り取られた
つかの間の邂逅と交感
う〜ん
時に感情があらわになるも
移りゆく四季とともに
死を受け入れていくジョンウォンの
常に穏やかな笑顔が印象的です
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つくづく
人間の死を特別なことではなく
あくまで自然の一部と捉える視点に
目を見開かされる思いがします
あらためて
主演2人がもう素晴らしいの一語
ハン・ソッキュとシム・ウナが
絶妙の相性の良さを見せてくれます
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ラストシーン
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あの世へ旅立つジョンウォンが
残した手紙のモノローグ
「僕の記憶にある数えきれない写真のように
愛もいつの日か思い出になると思っていました
けれどもあなただけは思い出にはなりませんでした
愛を胸に秘めたまま旅立たせてくれたあなたに
ありがとうの言葉を残します」
ふぅ
なんて切ない映画でしょうか
と
『八月のクリスマス』というタイトルの意味は
本作が八月からクリスマスまでの物語であるということ
またホ・ジノ監督は
夕イトルの意味について
以下のように語っています
「私達は日常悲しみを感じたり、ある時は笑ったり、そういった相反する2つの感情のぶつかり合いの中で日常を生きていると思います。そういった意味をこめて”8月”という夏の明るいイメージと”クリスマス”という冬のイメージを持つ単語を2つ合わせました。」
なるほど〜
というわけで
『八月のクリスマス』
名匠ホ・ジノが描く純愛
優しい空気に満ち溢れた珠玉の一篇
いやあ
静謐な映像の数々が
観る者の記憶の淵に
ゆっくりと沈殿していくようですね
言わずと知れた名作です
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おまけ
ホ・ジノ監督の『ハピネス』について
以前書いた記事は→こちら
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