映画『アポロンの地獄』

ここんとこ

すっかり僕の趣味全開中の今日この頃ですが

締めくくりとなるのは

ギリシャ神話の「オイディプス王」に材をとった

パゾリーニの代表作

1967年製作の

『アポロンの地獄』

捨て子であることを知らずに育ったコリントス王子オイディプスが

父を殺し、母と交わる

というアポロンの神託を受けたため国に帰れず放浪の旅に出る

途中、行き会った実の父親をそれと知らずに殺し

その果てに本当の生まれ故郷テーべにたどり着く

そこで王となり実の母親である王妃をそれと知らずに娶り

やがてその事実を知って己が眼を潰すに至るという話です

この物語は自身の潜在的な願望が

そうした運命をもたらしたという

いわゆるエディプス・コンプレックスが根本に据えられていて

まぎれもなくパゾリーニ自身の内面の発露でしょう

パゾリーニはこの古典的なギリシャ悲劇を

自由奔放な発想で再構築し

観る者を驚嘆の渦に巻き込みます

ギョッ

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本編の舞台となるのはあくまで古代ギリシャですが

プロローグとエピローグに

自身を投影すべく戦前と戦後(現代)のイタリアを配します

プロローグ

ファシズムの軍歌鳴り響く時代の最中

ある屋敷で赤ん坊オイディプスが誕生するところから映画は始まります

そして母への愛情と父に対する憎悪の感情が

豊かな田園風景の中で芽吹いてゆく様を即物的に描いていきます

カーテン越しで抱き合う両親のシルエットや

その光景を見て泣き叫ぶ赤ん坊

それをかき消す夜空の花火など

美しいショットがシンボリックに挿入されます

このあたりは1922年にイタリアの農村地帯で生まれた

パゾリーニ本人のことを指しているようで

この物語が彼の自伝的要素を色濃く反映したものと捉えて間違いなさそうです

また真っ正面に据えられたキャメラをじっと見つめる

母親のショットがひときわ印象的で

そこにかぶるモーツァルトの「不協和音」のイントロが

これから始まる不吉なドラマの予感を静かに掻き立てます

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と突然

雅楽の深淵なる響きがどこからともなく轟き始め

父親が泣き叫ぶ赤ん坊の両足を掴んだところで

舞台はおもむろに

荒れ果てた原野にタイムスリップ

古代ギリシャへの時空を超えた瞬間移動です

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パゾリーニの発想はとにかく奇抜です

古代ギリシャと聞いて誰もが抱くであろう

荘厳かつ清新なイメージを根底から覆し

野蛮で土俗的な原始世界を創造してみせます

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古代の人々の衣装や小道具、住まいなどは独特の造形美に彩られ

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原初のたくましい生命力が画面全体に充溢

もはやギリシャ的なるものはどこにも見出せず

古今東西を問わずあらゆる事物を取り入れ

自由奔放に組み合わせます

多分にアフリカ美術にインスパイアされているであろう

異様な造形の数々

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パゾリーニは時代考証を一切無視し

歴史の再現よりもむしろ己の感性に忠実に従い

様式美に裏打ちされた

独自の神話的世界観を構築することに心血を注いだのです

この圧倒的な独創性こそが

パゾリーニの真骨頂でしょう

主人公を演じるはパゾリーニの分身

フランコ・チッティ

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そして王妃を演じる

神々しきシルヴァーナ・マンガーノ

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パゾリーニは

映画の基本的なセオリーを無視して

というより

おそらくそうした知識を持たず

自分の思ったままにアングルを決めたり

カットをつないだりして映画を創作していた人で

それゆえ出来上がった作品は

素朴で荒々しく

でも妙に斬新で

今観ても不思議な新鮮さに溢れています

そんな粗野な映像表現が

本作『アポロンの地獄』では

とりわけ異様な迫力を帯びています

中でも父親を殺すシーンがユニークですね

不吉な神託にショックを受けたまま

ざらついた荒野をあてどなくさすらうオイディプスが

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とある一本道で馬車の一行と対面し諍いとなります

灼熱の太陽の下

最初は逃げ出すオイディプスですが

鉄の仮面をかぶっているため徐々に疲弊していく兵士たちを見て

力を振り絞り憤怒の形相で一人一人倒してゆきます

照りつける日差しが刀剣に反射し

観る者の視界を遮ります

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大胆な逆光撮影による

神秘的なまばゆい光

最後に馬車に乗った王様らしき男に襲いかかり

容赦なく刀剣を突き刺す

それが実の父親だとは知らずに

死に絶えた男をしばし見つめる

宿命論的な間

この映画は

己の出生の秘密を知るための自己探求の物語でもあり

そうしてみると

このシーンは呪われた宿命に抗おうとする

青年オイディプスのやり場のない魂の叫びを

象徴的に表現したものと捉えることができましょうか

いやあ

面白いですね

ところでパゾリーニは

この作品で二つの表現スタイルを打ち出します

オイディプスがテーべに辿り着く前半あたりまでのタッチは

限りなくドキュメンタリーに近い

セリフが少なくドラマを盛り上げるための過度な装飾を排することで

作為的な痕跡を残さず

キャメラの介在を意識的に取り払うことに腐心しています

言うなれば極めてリアルなのです

あたかも本当に古代世界に居合わせたかのような迫真力に満ちているのです

この作品は過去の再現であるというよりはどこか寓話で

これが現実であるはずがないということはわかっているのですが

その映像があまりにリアルなため

観ている方は奇妙な錯覚にとらわれてしまいます

それゆえに映画は単なるリアリズムという枠を超えて

パゾリーニの内面に宿る詩の表出として

フィルムに刻印されるのです

しかし後半

オイディプスがテーベ王となるあたりからは

一転して舞台劇のようなタッチに変貌します

登場人物のクローズアップが増え

激しいセリフのやりとりも多く

驚愕の事実が明らかになる様子を

エモーショナルな昂揚とともに一気に畳みかけていきます

こうして映画は

詩的リアリズムに様式美を重ね合わせた

一種独特な容貌を獲得するに至ります

そして一見すると即物的で

どこか対象を突き放したような視点

妙に乾いた映像が特徴的なパゾリーニ映画ですが

その背後には内面をえぐるような情念がたぎっており

いつしかただならぬ緊張感が

画面全体を覆っていることに気づかされるのです

物語の終盤

事実が次第に明らかになり

自身も薄々気づき始めたにもかかわらず

オイディプスは実の母である王妃を抱き続けます

倫理感や罪の意識に苛まれながらも

母親に対する狂おしいまでの愛情がそれを凌駕するのです

やがて事実が白日の下に晒された時

母は自殺をし

オイディプスは自らの手で両眼を潰す

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エピローグ

舞台はさらに反転し現代のイタリアへと戻ります

盲目の笛吹きとなって都会をさすらうオイディプスが

最後にたどり着いた場所は

テーべの石碑が残る生まれ故郷の地でした

CGでは決して創り出せない

この生々しいほどの詩的イメージの爆発

う~ん

こういうすごい映画を観てしまうと

もう普通の映画では満足できなくなるんですよね

というわけで

パゾリーニの特異な世界観を3回に分けてご紹介してきましたが

ちょっとマニアック過ぎましたね

大変失礼しました

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