イタリアの異端児
芸術の秋
ということで
今回はガッツリ行きますよ
1975年
イタリアのローマ近郊で
一人の男の死体が発見されます
犯人は17歳の少年で
男に性行為を強要され喧嘩になった挙句
車で轢き殺したのだと言う
見るも無残な轢死体でした
遺体を鑑定した結果
殺された男は
イタリアを代表する詩人、映画監督であることが判明します
男の名は
ピエル・パオロ・パゾリーニ(1922-1975)
詩人、小説家、脚本家、評論家、映画監督など
様々なジャンルで表現活動を展開し
とりわけ映画の分野で
映画史に残る数々の問題作を発表
鬼才の名をほしいままにしますが
前述の事件によって
53歳にして
不意にその人生を断ち切られます
まさに異端の芸術家ですね
↓↓↓
それにしても
イタリアという国は
とんでもない怪物を生み出したものです
パゾリーニはいくつもの肩書きを持つマルチ人間でしたが
その本質は詩人でした
彼は詩作のかたわら
小説を書き
評論活動を展開し
政治的発言をし
絵画を制作し
そして映画を撮りました
映画はまさに彼の体内に息づく
詩の映像化でした
しかし何より
パゾリーニの人生そのものが
清濁を併せ呑んだ
一篇の壮大な詩であったと言えましょうか
彼はその比類なき個性を裏づける
複雑多岐な背景を一身に負っていました
まず彼の根幹を支えていたのが
母への偏愛と父への憎悪
自身も認めているところの
“エディプス・コンプレックス”でした
パゾリーニは
1922年
軍人である父親と
方言の残るカザルサ地方の教師だった母親との間で
産声を上げます
当時のイタリアはファシズムが台頭し
戦争への地歩を着々と固める真っ最中にありましたが
パゾリーニはおそらく母親の影響でしょう
軍国主義を忌避する
繊細で感受性豊かな少年に成長していきます
そうしておのずと軍人である父親に反発するようになり
弟の戦死も手伝って
母親への愛情はいっそう強まっていきます
このような両親に対する屈折した思い入れが
彼の人格形成に多大な影響を及ぼし
それが表現者としての中枢を占めていくのです
パゾリーニは思想信条的には
マルキストの無神論者を標榜していましたが
その一方で
純粋な信仰心を持ち合わせており
その相反するものを己の中に内包しつつも
一方の側に依拠することのない
独自のスタンスを貫きます
また彼は同性愛者であることを公言し
スラム街の少年たちと性交にふけるなどして
社会の底辺にすすんで身を寄せます
つまるところ
パゾリーニは既成概念に縛られない
自由な精神の持ち主で
自己否定もいとわず
どこまでも自分の頭で考え行動したのです
そうした性分ゆえ
彼は常に社会から疎外される
異端児であり続けました
発表する詩や論文、映画の多くが
スキャンダルの対象とされ
右からも左からも追われる身となります
生涯で訴訟に見舞われること
33回
しかし彼は己を偽ることなく
最期まで闘い続けました
好むと好まざるとにかかわらず
パゾリーニは
イタリア社会がはらんでいた矛盾や混沌を
一身に背負った
いわば現代イタリアの縮図のような存在でした
実はパゾリーニの死には
前述の単独犯行説以外にも
複数犯行説や
はたまた
右翼による政治的謀殺説まで
様々な噂が飛び交っており
40年近くが経過した今なお
その真相は明らかになっていません
ともかくパゾリーニは
ひとつの価値観や社会の枠に収まりきらない
ケタ外れのスケールをもって
表現活動を展開し
映画の世界でも
その才能を遺憾なく発揮していくのです
↓↓↓
と
実はただいま
パゾリー二最期の日々を描いた映画が
アメリカの鬼才アベル・フェラーラ監督によって
撮影中だそうで
待ち遠しいですね
というわけで
次回は
パゾリーニの作品群に触れていきたいと思います
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