映画『立ち去った女』

Amazonプライムって
ホントいろんな映画が観れるんですね
2016年製作のフィリピン映画
『立ち去った女』
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監督、そして他に
脚本・撮影・編集を手がけるのは
世界にその名を轟かすフィリピンの鬼才
ラヴ・ディアス(1958-)
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う〜ん
この監督の映画は
とにかく長尺で知られていまして
5時間とか6時間とかの長さだと
商業ベースにも乗りづらく
なかなか日本での上映機会も少ないですよね
かくいう僕も
実はディアスの作品を
今回初めて観ることができました
って
本作も御多分に洩れず
上映時間は
実に3時間48分に及びますが
いやあ
しかし
なんて見応えのある映画でしょうか
照りつける太陽
緑生い茂るフィリピンの
その野性的な風土の
とにかくまあ美しく魅惑的なこと
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さらには
フィリピンの現実を映し出した
夜の路地の雑踏
そのリアルで猥雑な風情が
モノクロによる
ワンシーン、ワンカットの長回しで
次第に炙り出されて…
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1997年
香港の中国返還によって
経済的不況に陥ったフィリピンでは
治安が悪化し誘拐事件が多発していた
そうした時代背景の下
元小学校教師のホラシアは
身に覚えのない殺人の罪で
30年もの間服役していた
しかし同じ服役囚の親友ペトラが
実は殺したのは自分で
それを指示しホラシアに罪を着せた黒幕は
ホラシアの元恋人ロドリゴだと告白し
自殺する
そうして
30年ぶりに釈放されたホラシアは
帰宅するも
息子は行方不明で
夫はすでに亡くなっていた
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家族を失い
人生を壊されたホラシアは
張本人であるロドリゴに復讐すべく
彼のいる島へとひとり赴く
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しかしそんな彼女の前には
卵売りの男や浮浪者の女、性同一性障害の傷ついた女など
社会の底辺を生きる人々が
次々と目の前に現われ…
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どうしても放っておけず
つい手を差し伸べるホラシアだったが
果たして…
映画は終盤に入り
意外な展開を見せて終わりを告げます
生活の中に
人々の意識の中に
深く静かに息づくカトリシズム
街の中心に位置する教会が
物語を構成する上での
大切なポイントをなしています
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と
唐突に状況場面だけを
延々長々と
それもほとんどが
引きのショットで映し出されるため
一見すると
画面の中で
一体何が繰り広げられているのか
容易にはわからなかったりします
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が
じっと観続けているうちに
次第に
周囲の現場音やらが耳に馴染んできて
その全容が明らかになります
と
一見すると
その長回しから
ついハンガリーのタル・ベーラの映画を彷彿とさせますが
タル・ベーラが
カメラを縦横無尽に(恐ろしくゆっくり)動かし
技巧やスタイルにこだわった
いわば長回しのための長回しであるのに対し
ディアスのそれは
あくまで物語を伝えるための長回し
カメラはほぼ動かず
ドッシリと据えられたまま
引きのロングショットで
延々フィルムを回し続けます
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一部始終を捉えた長回しの映像には
それ自体
力があります
人物たちの背景や感情が
自ずと伝わってきて
リアリティーが
つまりは
まぎれもない真実が
フィルムに明確に刻印されているのです
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しっかし
つくづく
今の時代
映画を倍速視聴したり
違法に短く編集したファスト映画を観たりするのが
トレンドだったりする世の風潮における
このディアスの
終始一貫した姿勢
その悪魔的な長回し
って
これはもう確信犯的に
現代社会に対する
ある種の警鐘
映画作家としての
強烈なアンチテーゼに他なりませんね
いやあ
長尺をものともせず
夢中になって観てしまいました
あらためて
フィリピンという土壌で
聖と俗が複雑に絡み合った豊穣な世界観を
独自に表現した
ディアスの恐るべき才能に脱帽ですね
というわけで
『立ち去った女』
これは力作
是非ともおススメです
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