映画『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』

1976年のアメリカ映画
『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』
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監督・脚本は
ジョン・カサヴェテス(1929-1989)
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今更ながら
“アメリカ・インディペンデント映画の父”
として名高い
伝説の鬼才です
本作は
カサヴェテスが
盟友ベン・ギャザラを主演にして撮った
異色のクライムサスペンスです
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…
場末のストリップクラブを経営するコズモは
店の借金を完済した矢先に
ポーカー賭博でボロ負けし
マフィアに莫大な借金を作ってしまう
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返済の見込みがないコズモに
マフィアは借金帳消しの条件として
ある仕事を持ちかける
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それはひとりの中国人ブッキー(=ノミ屋)を
暗殺せよとのこと
実はその中国人はノミ屋ではなく
一大勢力を誇る組織のボスだった…
断るわけにもいかないコズモは
粛々と実行に移し
中国人マフィアのボス宅に侵入し彼を射殺
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そして再び
経営するクラブに姿を現す
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70年代ロスの繁華街に見る
いかがわしくも雑然としたムードの中
マフィアにはめられ
窮地に追い込まれた男を描いた本作は
ノワールなプロットを借りながらも
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しかしその実
描かれるのは
ストリップクラブに宿る
溢れる情感
卑猥で低俗にして晴れやかな舞台と
そこに生きる出演者たちの生の姿です
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って
中国人の殺しを依頼されて
それを遂行しようが
逃げ帰る途中
腹に一発銃弾をもらい
手当が必要な状態だろうが
何せ
この男
自身の経営するクラブのことが
気がかりでしょうがない
厄介事の最中にも
電話をかけて
店のショーの演出や集客状況などを確認する
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この日常と非日常の
スリリングなせめぎ合い
いやあ
こういうのを
ハードボイルドと言うんでしょうね
思い入れたっぷりに映し出される
クラブの日常風景
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映画は
コズモを取り巻く
店の女の子たちの様子などに
あくまで主眼が置かれ
時折なんとも
冗長で緩慢な空気が流れたりします
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…が
しかし
自然光による手持ちカメラで
対象に肉薄したその画面からは
コズモの抱える苦悩
孤独な内面
刹那的な日常を生きる
男のダンディズムが垣間見え
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何より
場末のナイトクラブのオーナーとしての
誇りやプライド
ロマンティシズムがみなぎり
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そうした
諸々をひっくるめたところの
いわば光と影が
リアルに刻まれているのです
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主演のベン・ギャザラが
いろんなものを背負いながらも
“やせ我慢の美学”
に生きる貫禄のオーナーを好演
クラブの出演者たちに見せる
終始穏やかな笑顔と
慈愛に満ちた眼差しが印象的です
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ふと
コズモの姿に
どこか
気心の知れた仲間たちを大事にし
彼らと自由で濃密な時間を共にし
妥協のない映画製作に没頭し続けた
カサヴェテス本人の姿を
オーバーラップして見ることができて
まこと興味深いですね
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お
カサヴェテス映画の常連
シーモア・カッセルが
相変わらず存在感を示していて
いいですね
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というわけで
『チャイニーズ・ブッキーを殺した男』
いやあ
見応え十分
カサヴェテスの深い愛情と思い入れが
フィルムに明確に刻印された
異色のフィルム・ノワール
あらためて
必見です
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おまけ
カサヴェテスの『フェイシズ』について
以前書いた記事です→こちら










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