自由の刑

突然ですが

フランスの哲学者

ジャン=ポール・サルトル(1905-1980)

の言葉より

↓↓↓

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「実存は本質に先行する」

実存=存在、ありのままの姿

本質=意識、人格、人間性

本質はあとから作り上げるもの

つまり

実存の後に

どんな本質を持った人間になるかは

自分次第

自分で決める

自分で選びとるのです

そうして人間は

様々な本質を持った人間になれるのです

ということは

人間は自由なのです

「人間は自由の刑に処せられている」

自由とは苦しいもの

自由だからこそ

人間は苦しまねばなりません

なぜか?

自由とは

自分に責任を持つということ

何もかも自分で決める

自分で選択しなければならないからです

実はこれは大変苦しいこと

「自由とは、自由であるべく、不自由になることである」

でもそれが人間

そうすることで

人間は自由でいることができるのです

自分で判断して

決断して

自分の人生を決めるのです

そしてそのためには

苦しまなければならないのです

自分で決めるということから

決して逃げてはいけないのです

自分が進むべき道を

自分で考えて

選び抜かなければならないのです

ゆえに

「人間は絶対的自由を持った存在である」

そしてさらには

行動へと結びついていくのです

「人間は自らの行動の中で、自らを定義する」

まあサルトルの場合

行動=社会参加と位置づけ

積極的に政治や社会活動に励んでいくわけですが

ともかく

「自由とは、自由になるため、闘うことを選ぶ自由である」

いやあ

なんだか僕が日々抱いている心境に

サルトルの言葉がとてもフィットします

つくづく決めるって

難しいですね

怖いですね

不安になりますね

でも自分の弱さと向き合いながらも

一つずつ決めて

前に進んでいくしかないんですよね

そうした至らなさも

また人間ということで

さあ

がんばりましょっ

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