カポーティ『冷血』

『ティファニーで朝食を』

などで知られる

アメリカ現代文学を代表する小説家

トルーマン・カポーティ(1924-1984)

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彼が1965年に発表した

ノンフィクション小説

『冷血』

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いやあ

僕は何を隠そう

カポーティの大ファンでして

日本語で出版されたものは

全部読んでいると思います

中でもこの『冷血』は

彼の最高傑作です

が同時に

奇しくも

彼のその後の作家生命を

奪ってしまうという

大変な精神的代償を伴った力作です

今回『冷血』について

書こうと思ったのですが

ウィキペディアの文章が

あまりにも端的にまとまっているので

いっそのこと

以下

そのまま転載させていただきます

↓↓↓

【概要】

1959年に実際に発生した殺人事件を作者が徹底的に取材し、加害者を含む事件の関係者にインタビューすることによって、事件の発生から加害者逮捕、加害者の死刑執行に至る過程を再現した。インタビューを行った作者本人は物語の中に一切登場していないのも大きな特徴で、カポーティ自身はこのような手法によって制作された本作をノンフィクション・ノベルと名づけた。

(中略)

この作品の取材中に、カポーティは加害者との交流を深めるが、「加害者を少しでも長く生きさせたい」という気持ちと「作品を発表するために、早く死刑が執行されて欲しい」という2つの感情の葛藤にさいなまれた。『冷血』は作者にさらなる富と名声をもたらしたが、以後、完成出来た作品は短編のみで長編小説を完成させることが出来なかった。表題の「冷血」は特にこれといった理由もなく、何の落ち度もない家族を惨殺した加害者を表していると言われているが、表向き加害者と友情を深めながら、内心では作品の発表のために死刑執行を望んでいたカポーティ自身を表すのではないかという説もある。

【ストーリー】

19591116日、カンザス州のとある寒村で、農場主の一家4人が自宅で惨殺されているのが発見された。農場主はのどを掻き切られた上に、至近距離から散弾銃で撃たれ、彼の家族はみな、手足を紐で縛られた上にやはり至近距離から散弾銃で撃たれていた。あまりにもむごい死体の様子は、まるで犯人が被害者に対して強い憎悪を抱いているかのようであった。

しかし、被害者の農場主は勤勉かつ誠実な人柄として知られ、周辺住民とのトラブルも一切存在しなかった。農場主の家族もまた愛すべき人々であり、一家を恨む人間は周辺に一人もおらず、むしろ周辺住民が「あれほど徳行を積んだ人びとが無残に殺されるとは……」と怖れおののくほどであった。事件の捜査を担当したカンザス州捜査局の捜査官は、強盗のしわざである可能性も視野にいれるが、女性の被害者には性的暴行を受けた痕がなく、被害者宅からはほとんど金品が奪われていないなど、強盗のしわざにしては不自然な点が多かった。そもそも農場主は現金嫌いで、支払いは小切手で済ませることで有名な人物であり、被害者宅に現金がほとんどないことは周辺住民ならば誰でも知っていることであった。

事件の捜査を担当したカンザス州捜査局の捜査官たちは、事件解決の糸口がつかめず、苦悩する。しかし、犯人を特定するのに有力な情報がもたらされたのをきっかけに、捜査は急速に進展し、加害者2名を逮捕することに成功する。

そして、加害者2名は捜査官に対して、この不可解な事件の真相と自らの生い立ちを語り始めた。

とまあ

このような内容となっていまして

この『冷血』は

緻密なディテールで積み重ねられた

迫真のノンフィクション小説として

広く世に知られた作品となっていますが

そもそもカポーティは

この一家惨殺事件を

新聞の小さな記事で目にし

長年の作家としての嗅覚から

この記事が妙に引っかかり

そうして現地に直接取材に行ったことから

次第に本事件の真相の解明に

どっぷりとのめり込んでいくことになります

ここらへんの経緯は

2005年に製作された彼の伝記映画

ベネット・ミラー監督

フィリップ・シーモア・ホフマン主演の

『カポーティ』

で詳細に描かれています

↓↓↓

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カポーティは

早い段階から事件に興味を持ち

事件のあったホルカム村とその周辺の調査、聞き込みをし

そして残虐な殺人を犯した加害者の2

リチャード・ヒコックと

ペリー・スミスに

インタビューを行い

彼らと文通を交わします

とりわけ

ネイティブ・アメリカンの血を引く

ペリーに関心を示し

彼の複雑な家庭環境や

感受性豊かな一面に触れるうちに

親しい間柄となり

彼の心の内にどんどん入り込んでいき

その真意に迫っていきます

カポーティが本事件に

直感的に引き寄せられ

取材を通して終始抱いていた疑問

それは

加害者たちが殺人を犯す動機が

一体どこにあったのか?

という点

ここに尽きると言っても

過言ではないでしょう

しかし加害者の2人と接し

彼らと交流を重ねれば重ねるほど

その明確な動機を

どこにも見つけ出すことができない

上述のように

カポーティが加害者に

個人的な友情を抱き

彼らの死刑執行を

少しでも先延ばしにしたい

でも執行されなければ本が完成しない

という板挟み的な苦悩に苛まれる

その根本的な要因の一端も

このすっきりと晴れることのない2人の

動機の不在に

由来していたと言えましょうか

そうして

1959年にアメリカの片田舎で起こった

この小さな事件は

カポーティの手によって

世間の衆目を集めることになり

ここから

いわば

動機なき殺人

現代社会に潜む不条理を反映した

象徴的な事件として

一般的に認知されるようになり

以後、全米各地で

度々発生していくことになるのです

う〜ん

カポーティの着眼点の鋭さには

脱帽するばかりですが

この動機なき殺人という現象は

アメリカのみならず現代社会が抱える

一つの深い闇に違いありませんね

信仰心や良心の呵責

もとより想像力の欠如

突発的な衝動性

メディアの発達と

それに付随するコミュニケーションの不在

などなど

前回ご紹介した

映画『エレファント』の基となった

1999年のコロンバイン高校銃乱射事件や

以後、定期的に発生している

同じような事件なども

往々にして

動機なき殺人の範疇に括られるのかなと

推察します

というわけで

前回の『エレファント』と結びつけて

どうしても触れておきたかった

作品のご紹介となった次第です

おまけ

こちらも必見

カポーティの原作を

そのまま映画化した力作です

1967年製作

リチャード・ブルックス監督の

『冷血』

↓↓↓

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