映画『午後の網目』
最近
YouTubeで昔の実験映像を観るのが
密かにマイブームになっていまして
(それももっぱらトイレの中で…)
ハハハ
ホントなんでも観れるんですね
例えばアングラの帝王
ケネス・アンガー(1927-)の
『スコピオ・ライジング』(1963)や『花火』(1947)
あるいは実験映画の巨匠
スタン・ブラッケージ(1933-2003)の
『DOG STAR MAN』(1964)とか
昔はよくこうしたアングラ映画を貪るように観たものでして
懐かしいなぁ
と、
そんな実験映画という極めてマニアックなジャンルにおいて
かつてひときわ特別な輝きを放つ映像作家がいました
マヤ・デレン(1917-1961)
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ロシア革命の年に
ウクライナ、キエフのユダヤ人精神科医の家庭で生まれ
国内でのユダヤ人迫害を逃れて
1922年にマヤが5歳の時にアメリカへと移住
そうして様々な経緯の後
アメリカで実験映画作家として名を馳せ
他にも振付師、舞踊家、作家、写真家、文化人類学者など
多方面においてその特異な才能を発揮するも
やがてハイチでヴードゥー教の研究に没頭し
一冊の本を上梓した後
そのミステリアスな私生活ゆえか
突如、脳出血で倒れ
44歳の若さでこの世を去ります
生涯で遺した作品は
6本の短編実験映画と1冊の著作のみ
しかし彼女は
死後60年が経とうしている現在においても
「アヴァンギャルド映画の女神」として
数多くのアーティストにとっての
インスピレーションの源であり続けている
まこと稀有な存在なのです
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と
そんなマヤ・デレンの名を決定づけた代表作が
彼女が26歳の時に発表した
わずか14分の映像詩で
夫アレクサンダー・ハミッドとの共同監督による
『午後の網目』(1943)です
道に落ちた一輪の花を拾う女の影
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女は鍵を手に玄関の扉を開けて中に入る
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その女はマヤ本人
パン切りナイフ、電話の受話器、鏡…
階段を上がった部屋には
カーテンが風になびき
レコードがかかっている
マヤは椅子に座り
そっと眼を閉じる
ふと
椅子で眠っている自分を見つめる
もう一人のマヤが窓の外を眺める
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おや
ガラス越しの外ではさっきと同じ光景が…
それを見るもう一人の自分
これは白昼夢
夢を媒介にして
おもむろに自分の内面へと入り込む
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一体どっちが夢で
どっちが現実なのか
次第にその境目が曖昧になっていく…
絶え間ない反復
円環構造
舞踊的な身体表現と相まって
観る者を幻惑する
その浮遊感
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う〜ん
繊細で複雑な女性心理のこれ
まぎれもない表出ですね
撮影トリックも駆使
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自分になんらか関連のあるアイテムが
至る所、散りばめられることによる
イメージの
それも悪夢の連鎖
容易には説明がつきませんね
そうしてなかば迷宮と化した
家の内と外というループの中で
ふと立ち現れる夫の存在
疑念…
これは潜在意識下における
夫への殺意を可視化したものか
それとも…
あるいは抑圧された性への衝動ともとれますね
『千と千尋』に出てくる“顔なし”のような
顔が鏡の死神が不気味
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主人公の女性、マヤが夢の中で辿る
めくるめく魂の遍歴…
その鮮烈な自己破滅の様
いやあ
シュルレアリスムの系譜に連なる
なんとも斬新で魅惑的な映像表現
あらためて
本作が70年以上も前に製作されたとは
圧巻の一言です
と
本作で衝撃のデビューを飾ったマヤは
44歳で亡くなるまでに
6本のユニークな実験映画を発表
海岸に打ち寄せられたマヤの身体を
象徴的に捉えた
『陸地にて』 (1944)
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ダンサーが森や建物内を踊る様を
緻密なカメラワークで追った異質なフィルム
『カメラのための振付けの研究』(1945)
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などなど
というわけで
今もなお観る者の感性を刺激し続ける
伝説の映像作家
マヤ・デレンにあらためて注目です
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