映画の時代性

今月のさる816日に

アメリカの名優

ピーター・フォンダが亡くなった

との報に接しました

享年79

ご冥福をお祈りします

いやあ

ピーター・フォンダかっこよかったなぁ

↓↓↓

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なんてったって

『イージー・ライダー』に

これ尽きますよね

↓↓↓

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話は変わりまして

つくづく

その時代の空気感を知らない悲しさを

感じる今日この頃ですね

例えばこの

『イージー・ライダー』(1969)

↓↓↓

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いまこの映画を観て

作品の出来云々がどうだとか言っても

それはある意味

ナンセンスな話で

その当時の

『イージー・ライダー』の熱狂を

それこそ肌身で感じた人でないと

つまりはその時代を生きていないと

究極のところで

映画の本質は

理解できないのではないでしょうか

悲しいですがね

つくづくそう思います

時代が違うということは

それだけ同じことをやっても

自ずと印象が変わってしまう

さらには

意味すら違ってしまうということ

ふと

こうした感覚で

僕がちょっと思い当たるのは

1977年公開の

『スター・ウォーズ』第1作でしょうか

↓↓↓

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僕が小学校1年生の頃かぁ

1作目の『エピソード4』公開時の熱狂たるや

小学生の僕でも感じるくらいの

それはそれは

すごい盛り上がりぶりでした

僕の周りで観てない奴は

一人もいなかったですね

映画自体がどうとかじゃないんですよね

いま観ても正直

内容云々はどうでもよくて

しかし映画が始まったとたん

あの当時の興奮が

にわかに蘇ってくる不思議

もうワクワクしちゃってしょうがない

すっかり脳にインプットされちゃってるんでしょうね

また当時は『スターウォーズ』関連グッズが

それこそ

ありとあらゆるジャンルで氾濫してて

少年たちは

皆こぞってほしがりましたからね

あらためて

僕にとっての『スター・ウォーズ』は

『帝国の逆襲』とか『ジェダイの復讐』もよかったですが

もう別格で

この『エピソード4』なわけで

それは作品の出来とは

まったく無関係な話なんです

『エピソード4』の熱狂ぶりは

この時代を生きてない人には

わからないだろうなぁ

ちょっと優越感

いやはや

懐かしいかぎりです

ついでにもう一つの事例を

はるか昔の話

今から90年前の1929

パリの劇場で

ブニュエルとダリ共作による実験映画

『アンダルシアの犬』が上映され

↓↓↓

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オープニングで

いきなり女性の目玉が

カミソリで切られるシーンが流れた時の

その衝撃たるや

↓↓↓

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う〜ん

まさに想像するに

余りあるものがありますよね

いま観ても

ゲゲッ

となりますが

なにせ90年も前ですからね

何より本作は

当時、シュルレアリスムという

革新的で前衛的な思想を世に問うための

大きな潮流が形成されていて

彼らのいわば芸術的、政治的意図が

背景に厳然と横たわっていたわけで

ただ単に

どぎつい映像を流して

観客をびっくりさせようとか

そんなレベルの話とは

もう全然

意味が違うわけですね

そんなこんな

映画の持つ時代性について

あれこれ感じた次第です

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