映画『ハウス・ジャック・ビルト』

激しい嫌悪感

生理的な拒否反応

ちょっと

いくらなんでもこれは

あまりにも

モラル的にどうなのよ

感情を逆撫でされ

観ていて

どうにもこうにも

動揺を隠しきれません

↓↓↓

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2018製作

デンマーク・フランス・ドイツ・スウェーデン合作の映画

『ハウス・ジャック・ビルト』

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監督は

映画界随一の問題児として

その悪名を世界に轟かせる

デンマークのラース・フォン・トリアー(1956-)

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って

何ですか

このキービジュアルは

ありえない向きに曲がった体勢の

監督&出演者た

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まあしかし

よくよく

本作のテーマを言い得て余りある表現だと言えますね

う〜ん

つくづく本作は

トリアーのアブノーマルな気質が爆発した

まず他に類を見ない怪作です

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映画は

1970年代アメリカを舞台に

自称、建築家のジャックが

およそ12年にわたって

さながらアートを創作するように

殺人を犯していった様を

5つのエピソードに分けて描いていきます

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主演はマット・ディロン

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『アウトサイダー』(1983)や『ランブルフィッシュ』(1983)

『ドラッグストア・カウボーイ』(1989)や『クラッシュ』(2004)

などなど

輝かしいフィルモグラフィーを

一発でひっくり返すほどの衝撃の怪演

しかしおそらくは

キャリア最高のハマリ役といっていいでしょう

演じる役柄は

自らが理想とする家を建てることを妄想しながら

アートとしての殺人に手を染めていく

強迫性障害のサイコパス

です

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謎の人物、ヴァージとの対話を通して

ジャックの抱く思想

いわば殺人に対する独自の哲学が解き明かされ

その異様な価値観が

観ている僕らに示されていくのですが

劇中

天才ピアニスト、グレン・グールドの

室内での演奏(作曲)風景の映像が挿入されたり

また

デヴィッド・ボウイの『Fame』が度々流れたり

世にあまたある文学、絵画、音楽などの

様々なアート映像が映し出され

さらには

第二次大戦時の虐殺死体やナチスの記録映像などもインサートされます

あらためて

本作の極めて特異な点

それは芸術と殺人を

奇妙に

意識的に

確信犯的に

オーバーラップさせ

全編これ

アートとしての殺人

という視点を貫いている点にありましょうか

ふと

これはトリアーの

すべての映画に底流するテーマでもあるのですが

つまるところ

常識とモラルへの挑発的な行為

としての映画

という

まことラディカルなスタンスです

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そして

そうした意図が表出された映像の

禍々しくも

グロテスク極まりないこと

本作でも

正視に堪えないシーンが度々出てきます

これが映画(=作りもの)であるということは

重々わかっているのですが

手持ちカメラで捉えた映像が

あまりにリアルなため

観ている間中

絶えず緊張を強いられます

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観ている僕らは

犯行現場の目撃者よろしく

目の前で繰り広げられる惨劇の行方を

ただ黙って見守る他ありません

う〜ん

この如何ともし難い

もどかしさ

受け身な立場でいることの

無力さ

そん

おかしな心境にとらわれ

混乱した頭の中をまさぐるようにして

ことの次第を見つめ続け

どうにかこうにか

理性でもって消化しようと努めるのですが

これができない

くらい

エグい

悪趣味もいいところです

トリアー自身は

アートになぞらえ

なかばジョークのつもりで

殺人行為を描写しているのですが

到底、笑えたものではありません

とはいえ

皮肉にも

観ているうちに

徐々に目が慣れてくるといいますか

殺戮シーンに対する耐性ができてくる自分がいたりします

と同時に

自ずとトリアーの逆説的な真意が見え隠れします

あえて観る者に

映画はもとより

芸術が本来担うべき

自由で純粋な表現を通して

既成の価値観の破壊を促すということ

本作はまさにその体現で

そうした表現を試みる上で

どうしても足かせとならざるを得ない

いわば倫理や常識、美徳を

意図的に

それこそ悪意を込めて

徹底的に排除しているのです

しかしトリアーの

己の芸術に対する

この妥協を知らない

ある意味

献身的ともいえる姿勢は

よくよく

実に驚嘆に値することで

ゆえに

残虐な殺人を描いた

過激なブラックコメディにもかかわらず

本作は類稀な純度と強度を有した

ある種

宗教的なまでの崇高さを獲得しているのです

映画は終盤に入り

思わぬ展開を見せます

謎の男、ヴァージとは

ダンテの『神曲』における地獄の案内人で

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集大成ともいえる恐ろしい家()を作ったジャックは

文字通り

地獄へと堕ちるのです

絵画のワンシーンのような地獄絵図

もはやこの世の話ではなくなってしまうほどの

絶対的な純粋性の描出

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って

エンドロールでは

レイ・チャールズのポップな名曲『Hit the road Jack 』が流れ

「ジャック、二度と戻ってくるな」

というおなじみのフレーズが繰り返し歌われます

いやはや

この落差

ぶっ飛んでます

でもつくづく

トリアーのしたたかなまでの才気に脱帽です

というわけで

本作『ハウス・ジャック・ビルト』は

いろんな意味で

久々に

僕の持つ既存のフレームが砕け散った

いやあ

もの凄い映画です

既存のフレーム云々については下記をご参照

僕が以前書いたブログですこちら

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