映画『ラストムービー』

1971年のアメリカ映画

『ラストムービー』

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監督は

ハリウッドの反逆児として名高い

デニス・ホッパー(1936-2010)

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本作は

アメリカ映画の一大潮流となるアメリカン・ニューシネマの

まさに発火点となった記念すべき一作

『イージー・ライダー』(1969)を初監督し

一躍時代の寵児となったホッパーが

次に撮った野心作です

前作同様、自ら主演も務めた本作は

しかし商業映画の枠組みに収まらない

難解な内容、前衛的な構成ゆえ

製作会社ユニバーサルの反発に遭い

再編集の指示が出ます

がホッパーはこれを拒絶

そのため映画は短期間での公開のみで

ほぼお蔵入りとなり

呪われた映画の烙印を押され

ホッパー自身は10年以上も

映画製作が出来ない不遇の状態が続いてしまうのです

う〜ん

『イージー・ライダー』の栄光から一転

本作『ラストムービー』の挫折で

ホッパーは仕事もプライベートも

全て破綻してしまうのです

とまあ

しかし時は移ろうもの

実験的なスタイルの映画ゆえに

一部の熱狂的なファンも生まれ

そうしてやがて再評価の機運が高まり

全米のみならず

ここ日本においても88年に劇場公開されたのを機に

にわかに再評価の声が高まったのですから

ホントわからないものですね

ハリウッドから南米ペルーへやって来た映画撮影班が

西部劇を撮影している

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その中の一人、スタントマンのカンザス(ホッパー)は

撮影後も村にとどまり

現地で知り合ったペルー人女性と

自然豊かな環境で暮らすようになるが

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いろんな経緯から

程なくして酒とドラッグにはまり込んでしまう

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そんな中でペルーの村人たちが

見よう見まねで現実と演技の区別のつかない

危険な映画作りを始める

そこで処刑される白人役として担ぎ出されたカンザスは

現実と幻覚が入り乱れた不条理なカオスの中に

否応なく埋没していく

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って

たしかにこの映画

往々にして訳わからんですね

終盤以降は酒とドラッグにまみれた人々が

ダラダラと映し出され

シラフと酩酊の境目が曖昧で

現実と虚構が奇妙に融解していきます

とまあ

何度もテイクを重ねた映像が使用されたりして

正直

ちょっと出来損ないのアートフィルムのようで

製作会社がクレームをつけるのも

無理もないような

でも

ここに映されているのは

まぎれもない時代の空気ですよね

まさに彼は

70年代初めの激動と混沌を

身をもって体現したひとりであることに

異論はないでしょうね

あらためて

デニス・ホッパーは

ジェームズ・ディーンの弟分的な存在として

キャリア初期の若い頃の役柄から

ナイーブで感受性豊かなアメリカ中流家庭の息子

といったイメージがつくも

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しかしそこから

『イージー・ライダー』に代表される

カウンターカルチャーを体現する存在へと

急転回を見せます

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しかし

さきの『ラストムービー』の致命的失敗によって

ドロップアウトを余儀なくされ

酒とドラッグが手放せない状態のまま

それでもいくつかの役を演じます

とりわけ印象的だった

『アメリカの友人』(1977)の

トム・リプリー役や

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『地獄の黙示録』(1979)の報道写真家役

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そうして徐々にほとぼりが覚めていき

10年のブランクの後、復活

監督も手がけるようになり

性格俳優としては

更なる独自の存在感を発揮していくのです

強烈な印象を残した

『ブルーベルベット』(1986)

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ところでホッパーは

映画製作や出演の一方で

絵画や写真に関しても造詣が深く

絵画の個展や写真展を開催するなど精力的に活動

また現代アートの蒐集家として知られ

現代アートと映画界の橋渡しを担ったりもしました

いやあ

つくづく

個性の塊で

無二の才人でしたね、この人は

というわけで

いわくつきの映画『ラストムービー』を通した

鬼才、デニス・ホッパーのご紹介でした

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