映画『8 1/2』

映画評です

イタリアの巨匠

フェデリコ・フェリーニ(1920-1993)

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いやあ

亡くなって

もうかれこれ20年以上経ちますが

フェリーニは

今も僕の神様です

どれだけ映画の技術が進歩しようが

僕にとってどこまでも

映画とはフェリーニであり

フェリーニとは映画です

ということで

今回は

フェリーニの宇宙を

代表作と共に見ていきたいと思います

1963年製作の

8 1/2

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この映画

実は

何を隠そう

僕のベスト1です

この映画は

マルチェロ・マストロヤンニ演じる映画監督グイドが

新作の準備にとりかかるも

遅々として進まずに苦悩する様を描いたもので

ずばりフェリーニ自身が抱えていた

創作上の迷いや重圧、行き詰まりを

そのまま映像化したような

そんな自伝的色彩の濃い映画です

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特筆すべきは

主人公の内面世界=意識の流れを視覚化してみせたこと

現実逃避をあらわす夢のシーンに始まり

押し寄せる映画関係者の群れ

亡くなった両親との再会

幼年時代や少年時代の記憶

冷めきった妻との関係や惰性で続いている愛人との関係

女性だけのハーレムの中で暴君としてふるまう生活への願望

支離滅裂を極める一方の新作への焦り

理想の女性(クラウディア・カルディナーレ)との対面等々

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そしてラストに至るまで

過去と現在

夢と幻想

欲望や願望などが

渾然一体となって

自由奔放に折り重なります

まさに映画監督である主人公の

混沌とした精神世界を

自己に根ざした断片的なイメージの羅列でもって

鮮烈に映し出したのです

マストロヤンニ最高

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ところで

8 1/2』という奇妙なタイトルの意味は

フェリーニが過去に監督した作品数(うち共同監督を1/2とする)を

表したものとのこと

全体の構成としては

ほとんど何の脈絡もなく話が唐突に

現実から過去や夢のシーンに移行したりするので

起承転結に沿って物語が展開する

いわゆる一般的な映画と比べると

解りづらいと思うきらいもあります

そうしてよく難解と言われるフェリーニ映画ですが

言葉で言い表せないものを

映像で表現してこそ

映画の映画たる所以がありましょう

ここはあまり難しく考えず

ただその魅惑の世界に身を委ねて観ることをオススメします

さて

フェリーニの体内に底流する本質について少々

フェリーニの映画を解く鍵は

実は一つしかありません

その唯一無二の鍵とは

サーカスです

フェリーニは幼い頃からサーカスに夢中で

その見世物小屋で繰り広げられる華やかで愉快な世界に

すっかり魅入られてしまいます

おのずとサーカスは

彼の人間形成に多大な影響を及ぼし

その後の映画人生へと繋がっていくわけですが

フェリーニのほぼ全ての映画に共通して漂う

観る者の感情に訴えかける郷愁は

このサーカスに宿る懐かしい匂いに起因します

そして道化師に対するに限りない愛着は

そのまま底辺に生きる人々への愛情と共感に連なっていきます

フェリーニの名を一躍世界に知らしめた『道』(1954)

道化を演じる

無知で貧乏な娘ジェルソミーナや

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『カビリアの夜』(1957)

人を疑うことを知らない娼婦カビリアの

あまりに純真無垢なその姿に

神を見出すかの如く

この社会的弱者に対するまなざしは

どこまでもやさしく温かい

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またフェリーニの映画には

至る所サーカスや道化が登場します

8 1/2』では

実に様々な人たちが間断なく画面に入り乱れ

監督に出演をせがんだり

新作の進み具合を聞き出したりして

一見華やかながらも

どこか滑稽な人間模様が展開されますが

これらはまさしく

登場人物たちを道化になぞらえた形でして

喜怒哀楽に富んだ様々な表情が

縦横無尽に映し出されます

クローズアップで捉えた人々の

顔、顔、顔

まさしく映画そのものがサーカスの体現であり

見世物(=スペクタクル)としての映画

という視点に立って創作を行っていると言えましょう

その見世物の象徴的なモチーフが

巨大信仰とでもいうようなものです

とにかくフェリーニは大きなものが好き

それ自体に深い意味はないのでしょうが

ただ単純に大きなものに対して驚きや畏敬

有無を言わさずに他を圧倒する存在感などを抱き

魅せられているようです

そしてその巨大なものの究極のイメージが

であり

大女です

海はフェリーニの数多くの作品で重要な役割を果たします

それは旅立ちの場であったり

悔根の場であったり

フェリーニ中期の傑作『甘い生活』(1960)では

退廃と希望を垣間見せる場であったりします

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海そのものに厳しさとやさしさを併せ持ち

何でも包み込んでしまう母への投影を見てとれますが

他方では

自己のイマジネーションを自由に喚起させ

無限の広がりを見せる場と捉えているように思われます

もう一つのイメージである大女は

やはり数多くの作品に登場しますが

フェリーニ自身

大柄な女性に対して

少なからず畏怖の念を抱いている感があり

地母神的な崇敬すら見てとれます

8 1/2』でも子供時代の回想の中で

サラギーナという大女が登場します

人々の嘲笑の的にされ

社会と隔絶しつつ

一人海辺に住むサラギーナ

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少年たちにルンバを踊るようけしかけられ

大地を揺らすように得意げにふるまうサラギーナに

少年グイドは恐れと興味を抱きつつ

彼女に誘われるまま

一緒にルンバを踊ります

フェリーニは

サラギーナを

このあふれる人間味を

愛情と郷愁を込めて

情感豊かに描き出します

やがてこの光景を先生に見つかり

グイドはサラギーナと踊ったという

先生や生徒から一斉に非難を浴びます

サラギーナと対照的に

カトリック神学校の窮屈さと

そこに内在する非人間性を冷ややかに描くあたりに

フェリーニの拠って立つ位置を

如実に窺い知ることができましょう

さて『8 1/2』の終盤

映画監督グイドは

海辺の巨大セット現場での記者会見で

多くの関係者が詰め寄る中

彼自身混乱の極みに達し

結局新作は中止

全て御破算

何もかも失うことになります

解体するセットを尻目に

友人の言葉を聞き流すまま

しかし突然

グイドは開放感に包まれます

混乱そのものを

ありのままを

受け入れ

愛そうとする気持ちが

にわかに湧き上がってきたのです

「人生は祭りだ」

「共に生きよう」

グイドの独白と共に

今まで登場した出演者たちが

ジンタに乗せて大挙して押し寄せます

過去の人も

夢の中の人も

想像上の人物も関係なく

この映画に登場した人たちが一同に会し

大きな輪を作って踊り出します

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ストーリーもへったくれもない

これはまさしく

フェリーニ自身の内面の発露です

グイドは自分に関わった全ての人たちに

輪になって踊るよう

苦戦しつつ監督・指揮します

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現実は何も変わらない

しかし彼は確かに生きている

やがて自らも妻と共に

輪舞に加わります

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人生は混乱であり

混乱こそが真実なのだ

フェリーニがこの映画を通して導き出した答え

求めてやまない姿がここにあるのです

つまるところ

この映画のテーマは

共生

僕は

この映画の

混沌とした

それでいて豊穣な世界観の中にこそ

共生

あるべき

リアルな姿を

見出します

逆説的な捉え方になりますが

このラストで導き出された答え

ありのままを受け入れることの素晴らしさ

は、実は映画全編の中に散りばめてあります

ワンシーン

いやワンショットの中にさえ

見ることができます

主人公の不安や苦悩を映し出した映像の

眼を見張る美しさ

本当に美しいシーン満載です

深い陰影のモノクロ画像に遠近法を多用し

ユメかマコトか容易に判別不可能な質感を含んで

流れるように進行します

またニーノ・ロータの音楽が

トランペットの音色と共に

それを限りなく助長します

さらに言うなら

混乱の中に埋没し

そこから限りないイメージが溢れ出て

あらゆるものを呑み込み

映画そのものが丸々と肥え太っていく

その豊かさ

豊かさとは多様性

様々な個性の衝突と融合

それが渾然一体となって

一つの宇宙を形作り

その凝縮された世界そのものに美を見出す

それがすなわち

豊かな人間性を表出する

この映画はそうした混乱そのものに

美しさ

豊かさを見出し

さらには観る人の心の中をも

豊穣なイマジネーションでいっぱいにします

そしてあらためて強調するなら

その根底にはサーカスがあり

道化の世界こそが豊かさの象徴なのだ、と

それをフェリーニは映画という手段を用いて

表現し証明したのです

いやあ

ただもう圧巻の一言です

8 1/2』以降フェリー二は

サーカス的な混沌

見世物の世界がはらんでいる多様性

人間的な豊かさを

手を替え品を替え表現し続けていきます

映画自体もますますスペクタクル志向が強まっていきます

古代ローマの巨大絵巻を

デカタンなイメージで再現した

『サテリコン』(1969)

ローマという街全体を

奇妙な見世物小屋として紡ぎ出した

『ローマ』(1972)など

次々と独自の映像世界を構築していきます

彼は

「人生は虚構である」

と公言してはばからず

映画作りもどんどん人工的空間の中に埋没していき

『カサノバ』(1976)に至っては

海すらもビニール製の人口セットで創出してみせます

海の荒々しさを手作り感覚で表現し

虚構の中に真実を見出そうとしたのです

ある人がその海を指してこう言ったそうです

「フェリーニの海は

本物の海よりも海らしい」

う~ん

創り手にとって

これ以上の賛辞の言葉が他にありましょうか

華やかな祭りの後には

必ず静寂が待っています

8 1/2』のラストシーン

夜が訪れ

道化の楽隊を引き連れた少年グイドが

フルートの音と共に

スポットライトから消えてゆき

郷愁の淵に沈んでいく

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映像の魔術師フェリーニは

『ボイス・オブ・ムーン』(1990)を最後に

1993

73歳で惜しまれつつこの世を去りました

というわけで

いやあ

ハハハ

すっかり自分の世界に埋没してしまいました

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  1. 朱祢 潤

    何度か見さしていただきました!ブログを通じて絡んでいければと思っています!また更新楽しみにしてます^ ^

  2. チョー!

    >朱祢 潤さん
    コメントありがとうございます^ ^❗️

  3. ( ^∀^)いきなりお邪魔してすみません、髙橋と申します。突然の訪問でしたが、今後ともよろしくお願いします( ´∀`) また、あたしのブログにも遊びにいらしてください☆彡

  4. チョー!

    >・+゚★高橋 佳奈 or 一條 想來★゚+・さん
    コメントありがとうございます(^ ^)。
    こちらこそのぞかせていただきます^_−☆